『孔子家語』現代語訳:好生第十(7)

孔子家語・原文

孔子謂子路曰:「君子而強氣,則不得其死;小人而強氣,則刑戮荐臻。《豳》詩曰:『殆天之未陰雨,徹彼桑土,綢繆牖戶,今汝下民,或敢侮余。』」孔子曰:「能治國家之如此,雖欲侮之,豈可得乎?周自后稷,積行累功,以有爵土,公劉重之以仁。及至大王亶甫,敦以德讓,其樹根置本,備豫遠矣。初,大王都豳,翟人侵之。事之以皮幣,不得免焉;事之以珠玉,不得免焉。於是屬耆老而告:『之所欲、吾土地。吾聞之,君子不以所養而害人。二三子何患乎無君?』遂獨與大姜去之,踰梁山,邑于岐山之下。豳人曰:『仁人之君,不可失也。』從之如歸市焉。天之與周,民之去殷,久矣。若此而不能天下,未之有也。武庚惡能侮?《鄁》詩曰:『執轡如組,兩驂如儛。』」孔子曰:「為此詩者,其知政乎?夫為組者,總紕於此,成文於彼;言其動於近、行於遠也。執此法以御民,豈不化乎?竿旄之忠告、至矣哉!」

孔子家語・書き下し

孔子子路に謂いて曰く、「君子にし而氣強からば、則ち其の死を得不。小人にし而氣強からば、則ち刑戮しきりにいたる。ヒンの詩に曰く、『天之未だ陰雨あめふらさざるにおよんで、彼の桑土くわのねを徹りて、牖戶とびらまとくくる。今汝下民、敢えて余を侮る或るか』と」と。孔子曰く、「能く國家を治むる之此くの如からば、之を侮らんと欲すと雖も、豈に得可き乎。周は后稷自り、行いを積み功を累ね、以て爵土を有ち、公劉之に重ねるに仁を以う。大王亶甫に至るに及び、敦く德を以て讓り、其の根を樹て本を置き、豫めに備えること遠き矣。初め大王豳に都するや、翟人之を侵す。之に事えるに皮幣を以うるも、免がるるを得不りたり。之に事えるに珠玉を以うるも、免がるるを得不りたり。是に於いて耆老をあつめ而之に告ぐ。『欲する所は吾が土地なり。吾れ之を聞く、君子養う所を以てし而人を害せ不と。二三子、何ぞ君無き乎患えん』と。遂に獨り大姜與之を去り、梁山を踰え、岐山之下于さとつくれり。豳人曰く、『仁人之君、失う可から不る也』と。之に從うこと市に歸するが如き焉。天之周に與し、民之殷を去るや久しき矣。此くの若くし而天下にえ不るは、未だ之れ有らざる也。武庚惡んぞ能く侮らんや。ハイの詩に曰く、『轡を執ること組むが如く、ふたつのそえうま儛うが如し』と」と。孔子曰く、「此の詩を為rえる者は、其れ政を知る乎。夫れ組を為くる者は、くみひもを此於總べ、あやを彼於成す。其の近き於動きて、遠く於行わるるを言う也。此の法を執りて以て民をしたがうらば、豈にあらたまら不らん乎。竿旄之忠告は至れ哉」と。

孔子家語・現代語訳

論語 孔子 キメ 論語 子路 あきれ
孔子が子路に言った。「君子は自己主張が激しいと、ろくな死に方をしない。つまらぬ人間でも自己主張が激しいと、しょっちゅう捕らえられ罰を受けるはめになる。だからヒンの詩に言うのだ。”雨がまだ降らないうちに、桑の根を取って巣の出入り口を繕う。これでひどい目に遭うのを防げるだろうか”と。(何事も用心が肝心であるぞ。)」

孔子が言った。「このようにうまく治まった国家に、嫌がらせをするすきがどこにあろうか。周は開祖・后稷コウショクの時代から、よく働いて成果を出し、地位と領地を保ったが、公劉の時代になってからは、思いやりで領地をまとめることを始めた。

大王亶甫タンボの時代になると、力を持ちながらへりくだることで、その国力を強化した。そうやって国の土台を固め、遠い未来に備えたのだ。はじめ大王はヒンに都を置いたが、しょっちゅう北の蛮族に攻められた。連中は革や絹をやっても、玉をやってもおとなしくならなかった。

そこで大王は土地の長老たちを集めて相談した。”奴らが欲しいのは土地だ。ひとかどの人間なら、土地にこだわって人を傷付けないと私は聞いている。だから私は出て行くが、諸君は領主がいなくても気に病むな”と。そのまま妻の大姜を伴って行ってしまった。

そして梁山を越え、岐山のふもとに都を移した。豳の人が言った。”情け深い殿様じゃあ。失ってなるものか”と。そういうわけでぞろぞろと、市場に行くようにあとに従った。このようないきさつで、天は周に味方し、民は殷を見限って周についたが、この様子は長いこと続いた。

こうまで天下を思いのままにした国は、それまで一つもなかったのだ。だから周王朝成立後、一度は降った殷の一族・武コウも、やすやすとは反乱を起こせなかったのだ。例えるならハイの詩に言う通り。”組むように手綱を操り、両脇の馬は舞うようだ”と。」

孔子が言った。「この歌を作った者は、政治を知っていたんだろうな。そもそも組み紐というものは、手元で編むが模様が出来るのは紐の先だ。つまり近いところで仕事を積み重ねて、遠くに成果が現れるさまを言ったのだ。

こうした地道な取り組みに励むなら、民の生活を改善できないはずがない。”組み紐を組むように、四頭の馬を巧みに操る”。そう歌った竿旄カンボウの詩が与える教訓は、大したものと言わずばなるまい。」

孔子家語・訳注

ヒン詩:『詩経』豳風・鴟鴞シキョウ(フクロウ)の歌を指す。

鴟鴞鴟鴞、既取我子、無毀我室。
鴟鴞よ鴟鴞、既に我が子を取れるに、我が室を毀つ無かれ。

恩斯勤斯、鬻子之閔斯。
斯くめぐみ斯くおしめる、おさなな子之斯くあわれむ。

迨天之未陰雨、徹彼桑土、綢繆牖戶。
天之未だ陰雨せざるにおよんで、彼の桑土を徹りて、牖戶をまとくくる。

今女下民、或敢侮予。
なんじ下民、敢えてわれを侮る或るか。

予手拮据、予所捋荼、予所蓄租、予口卒瘏、曰予未有室家
予が手はみ、予が所はちがやみ、予が所はわらを蓄め、予が口はつとむも、予れ未だ室家有らずと曰う。

予羽譙譙、予尾翛翛、予室翹翹、風雨所漂搖、予維音嘵嘵。
予が羽は譙譙やぶれ、予が尾は翛翛やぶれ、予が室は翹翹あやうく、風雨の漂い搖らす所、予れ嘵嘵おそく。

フクロウよフクロウ、すでに我が子を取ったのに、重ねて我が巣を壊すな。
深く深く愛した我が子が、実に哀れではないか。
今にも雨が降りそうな時、遠くの桑の根をついばんで、巣の窓や戸を繕った。
さあ下民ども、これでも私を侮るか。

私の手は縮みかがみ、私の巣には茅を集め、藁を集め、くちばしもおかしくなってしまったが、まだ巣は出来上がらない。
羽は破れ、尾も破れ、巣は危うく、風や雨に振り回される。私は恐れて鳴くしかない。

肉食のフクロウに我が子を取られた、弱い鳥のなげきの歌だが、「毛序・朱子ともに周公が国家経営の苦労をのべたものとする」と、中国古典文学大系『詩経』の注にある。

后稷:周王室の開祖。

公劉:后稷のひ孫。

大王亶甫タンボ:周文王の祖父。「古公亶甫」ともいう。

敦以德(徳)讓:逐語訳すると、”ねんごろに能力を用いてそれでへりくだる”。論語泰伯篇20に言う、「天下を三分してその二をたもち、以て殷にしたがつかう」と同じ事を言っているのだろう。腰の低い実力者に人望が集まるのは、古今東西変わらない。

なお「徳」とは徹頭徹尾”能力”のことで、”徳”のまま訳さずにおくのは怠惰も甚だしいし、そうでない徳を人徳とか道徳のように解するのは、頭の悪い一つ覚えと言うべきだろう。そうなっている漢文の訳本は山ほどあるが、読者を馬鹿にするのもいい加減にした方がいい。

ヒン:今の陝西省ヒン県。

テキ人:北方の異民族。テキ人と同じ。

皮幣:皮革と絹布。

耆老:長老。

大姜:大王亶甫の妻で、文王の祖母。

梁山:今の陝西省乾県の西北にある山。

岐山:今の陝西省東北部にある山。

武庚:殷最後の王・紂王(帝辛)の子で、一旦周に降ったが、のち周王室の反周公派と組んで反乱を起こした。

ハイ:邶とも書く。もと殷の紂王が都を置いた地域の北部で、今の河南省湯陰県付近。ただし「執轡如組,兩驂如儛」の歌は『詩経』邶風・簡兮に「執轡如組」の句が見えるだけで、鄭風・大叔于田の詩に、この二つの句が記されている。

大叔于田は、鄭の荘公の弟で、母親に偏愛されて荘公と並ぶ権力を鄭国内で握り、ついに反乱を起こした共叔段が、狩りに出かける様を歌った歌。この反乱を乗り切ったことで、荘公は「小覇」と呼ばれる、鄭の黄金時代を築き上げた。

叔于田、乘乘馬、執轡如組、兩驂如舞。
叔のかりにては、乘馬をり、轡を執ること組むが如く、ふたつのそえうま舞うが如し。

叔在藪、火烈具舉。襢裼暴虎、獻于公所。
叔藪に在り、火烈く具に舉がる。はだぬかたぬぎて虎をち、公の所たてまつる。

將叔無狃、戒其傷女。
將に叔よれる無かれ、其れ女を傷めるを戒む。

共叔段が狩りに出る、その四頭立ての引き馬のさま、手綱を取ること組むがごとく、両脇の馬は舞うようだ。
共叔段が狩り場に着いた、獣を追う火が高々と上がる。もろ肌脱いで虎と組み討ち、殿様のもとへ差し上げる。
だが共叔段よ油断するな、災いがその身に降りかからぬように。

竿旄カンボウ:『詩経』ヨウ風・干旄の歌を指す。

孑孑干旄、在浚之郊。 素絲紕之、良馬四之。 彼姝者子、何以畀之。
ケツ孑たる干旄は、浚之くるわぞとに在り。 しろいと之を紕み、良き馬之れ四なり。 彼のみめよき者の子、何以て之にあたえん。

牛の尾の差し物が一本、浚(鄭国のまち)のまちの郊外にさしかかる。白糸を組むように、よい馬四頭を走らせる。さて麗しのあの人に、一体何を贈ろうか。

孔子家語・付記

宇野本「この段は一部他所の語句を取るが、全体としては他書に見えない」。本当かどうかは知らないが、今は詮索する根気がない。詩にこじつけてお説教する孔子の姿は想像できるが、これは倫理を説いたと言うより、詩の講義の方がふさわしいだろう。それなら、ありうる。

「君子にして気強からば…」で始まるお説教の聞き手に、一門きっての武人とされる子路を持ってきたのは、いかにも出来過ぎており、話が史実としても聞き手は子路だけではなかろう。詩についてのウンチク語りは今日的にはうんざりだが、孔子在世当時必須の教養だったのだ。

なお詳しくは、論語陽貨篇9を参照。

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コメント

  1. […] 論語の本章の史実性については、『論語之研究』でも特に異論を挟んでいない。文字も全て金文までさかのぼることが出来、語法も特に新しいと言えるものはない。孔子の肉声と言っていいだろう。熱心に詩を勧めた孔子の講義録と思われる話は、『孔子家語』好生7にある。 […]