『孔子家語』現代語訳:観周第十一(2)

孔子家語・原文

孔子聖蹟図 問礼老聃

1

孔子觀乎明堂,覩四門墉有堯舜與桀紂之象,而各有善惡之狀、興廢之誡焉;又有周公相成王,抱之負斧扆南面以朝諸侯之圖焉。孔子俳佪而望之,謂從者曰:「此周公所以盛也。夫明鏡所以察形,往古者所以知今;人主不務襲迹於其所以安存,而急急所以危亡,是猶未有以異於卻走而欲求及前人也,豈不惑哉!」

2

孔子觀周,遂入太祖后稷之廟,廟堂右階之前,有金人焉。參緘其口,而銘其背曰:「古之慎言人也,戒之哉!無多言,多言多敗;無多事,多事多患。安樂必戒,無所行悔。勿謂何傷,其禍將長;勿謂何害,其禍將大;勿謂不聞,神將伺人。焰焰不滅,炎炎若何;涓涓不壅,終為江河;綿綿不絕,或成網羅,毫末不札,將尋斧柯。誠能慎之,福之根也。口是何傷,禍之門也。強梁者不得其死,好勝者必遇其敵。盜憎主人,民怨其上。君子知天下之不可上也,故下之;知眾人之不可先也,故後之。溫恭慎德,使人慕之;執雌持下,人莫踰之;人皆趨彼,我獨守此;人皆或之,我獨不徙;內藏我智,不示人技;我雖尊高,人弗我害;誰能於此?江海雖左,長於百川,以其卑也;天道無親,而能下人。戒之哉!」孔子既讀斯文也,顧謂弟子曰:「小人識之!此言實而中,情而信。《詩》云:『戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰。』行身如此,豈以口過患哉!」

3

孔子見老聃而問焉,曰:「甚矣!道之於今難行也,吾比執道,而今委質以求當世之君,而弗受也。道於今難行也!」老子曰:「夫說者流於辯,聽者亂於辭,知此二者,則道不可以忘也。」

孔子家語・書き下し

1

孔子明堂觀、四門のついじ堯舜與桀紂之すがた有り、し而各の善惡之さま、興廢之誡め有りるをる。又た周公の成王を相け、之を抱きて斧とついたてを負い南面して以て諸侯と朝える之圖有り焉。孔子あるまわり而之を望み、從者に謂いて曰く、「此れ周公盛んなる所以也。夫れ明鏡は形を察る所以にして、往古今を知る所以なり。人主其の安らけく存る所以迹を襲ぐに務め不、し而危く亡ばん所以に急急あわただし。是れ猶お未だ以てか走りし而前人に及ぶを欲し求むる異なること有らざる也、豈に惑わ不らん哉」と。

2

孔子周を觀、遂に太祖后稷之廟に入る。廟堂右階之前に、金人有り。其の口を參つ緘じ、し而其の背に銘みて曰く、「古之言を慎む人也、之をつつしめ哉。多く言う無かれ。多く言わばあやまち多し。事を多くする無かれ。事多からば患い多し。安樂は必ず戒め、行う所悔い無かれ。何のそこないと謂う勿かれ。其れ禍い將にとこしえならん。何の害いと謂う勿かれ。其の禍い將に大ならん。聞か不ると謂う勿かれ。神將に人を伺わん。焰焰ちいさきひし不らば、炎炎おおきひを若何せん。涓涓しずくふせが不らば、終に江河おおかわと為らん。綿綿かすかに絕た不らば、或いは網羅はびこりを成さん。毫な末にか不らば、將に斧のを尋ねん。誠に能く之を慎むは、福之根也。口は是れ何ゆえ傷なう、禍之門なれば也。強き者は其の死を得不、勝を好む者は必ず其の敵に遇う。盜は主人を憎み、民は其の上を怨む。君子は天下之上る可から不るを知る也、故に之に下る。眾人之先なる可から不るを知る也、故に之に後る。溫かにして恭しく德を慎み、人を使て之を慕わしむ。ひくきを執りて下を持たば、人之を踰ゆる莫し。人皆な彼に趨くも、我れ獨り此を守る。人皆な之にまどうも、我れ獨り徙ら不。內に我が智を藏すも、人に技を示さ不。我れ尊く高しと雖も、人我が害いなら弗。誰をか能く此にらん。江海は左たりと雖も、百川於り長きは、其の卑きを以いれば也。天道親む無く、し而能く人に下る。之を戒めよ哉」と。孔子既に斯の文を讀む也、顧みて弟子に謂いて曰く、「小人之を識れ。此の言實にし而中り、まことにし而信なり。詩に云く、『戰戰兢兢,深淵に臨むが如し、薄冰を履むが如し』と。身に此の如く行わば、豈に口の過を以て患えん哉」と。

3

孔子老聃に見え而問い曰く、「甚しき矣、道之今行い難き也、吾このごろ道を執り而、今質を委ねて以て當世之君に求むも、し而受け弗也。道今於行い難き也」と。老子曰く、「夫れ說く者は辯於流れ、聽く者は辭於亂る。此の二者を知らば、則ち道以て忘るる可から不る也。」

孔子家語・現代語訳

1

孔子は周王室の祖先祭殿を見物した。四方の門のわきの築地塀を見ると、いにしえの聖天子堯・舜と、いにしえの暴君桀紂の肖像画が飾ってあった。それぞれ名君と暴君らしい顔つきに描かれており、国の興亡の戒めに掲げられたようである。

また周公が幼い成王を補佐するに当たって、抱き上げて玉座に座り、後ろに権力の象徴である斧とついたてを立て、諸侯を引見している絵が掛けてあった。孔子はその周りを歩き回って、お供に言った。

「これが、周公が権勢を保てた理由だ。鏡が己の姿を見せ、過去が今を知る材料であるのと同じ(で、過去に学ばねばならないの)だ。ところが殿様方はこうした安定の道を受け継ごうとせず、危なっかしい小細工ばかりやりたがる。後ろ向きに走りながら、前の人に追いつきたいと願うのと変わらない。迷うに決まっているだろうよ。」

2

孔子が周の都をあちこち見物して、次に太祖后稷の祭殿に入った。祭殿右側階段の前に、青銅製の人形が立っていた。その口には三重に口封じが貼り付けてあり、背中には像ゆかりの文章が刻みつけてあった。

銘文「これは口に気を付けた昔の人の像であるぞ。教訓にせよ。口数を増やすな。増やすとしくじりが増えるぞ。あれこれ手を出すな。出すと心配事が増えるぞ。暇な時にこそ用心せよ。後悔するようなことをするな。

大したことないと言うな。被害が長引くぞ。大丈夫だろうと言うな。損害が大きくなるぞ。関係無いと言うな。疫病神がとりつくぞ。

火が小さいうちに消せなければ、燃え上がったら手が付けられないぞ。水はしずくのうちに防いでおかないと、仕舞いには大きな川になるぞ。まばらなうちに刈り取っておかないと、はびこってどうしようも無くなるぞ。細いうちに抜かないと、斧を振り上げて伐らねばならぬぞ。

誠意でこうして用心するのが、幸せの道であるぞ。口でひどい目に遭うのは、災いの元だからであるぞ。強がるとろくな死に方をしないぞ。負けぬ気で力むと敵だらけになるぞ。泥棒は入った先の主人を、民はお上を恨むものであるぞ。

だから君子たるもの、人の上に立つべきでは無いと知り、へりくだるがよいぞ。人々の先頭に立つべきで無いと知り、人の後ろに隠れるがよいぞ。温和で腰が低く、能を隠しておれば、人が慕い寄ってくるぞ。

何事も控えめを維持すれば、人が蹴倒そうとはしなくなるぞ。人々がわあわあと走り回る中で、動かぬがよいぞ。人々がうろちょろしても、自分だけは動かぬがよいぞ。智恵は隠しておき、技は人に見せぬがよいぞ。そうすれば自分が誇り高くても、引きずり下ろしに来る者はいないぞ。

こうした立ち位置を、保つ者は誰だろう。大河や海は低い左にありながら、どんな川より大きいのは、まさに低いからであるぞ。天はえこひいきをしないが、だからこそ誰よりも控えめでいるのである。だからよくよく用心するがいいぞ。」

孔子はこの文を読み終えて、振り返って弟子に言った。「諸君、これを覚えておきなさい。書いてあることは事実で当たっているし、詳しい上に嘘が無い。詩経にこうあるではないか、”ビクビクとおののきながら用心せよ、底なし沼を覗くように、薄い氷の上を踏んで歩くように”と。その通り実践するなら、口から出た災いを心配しないで済むだろうなあ。」

3

孔子が老聃と会見し、問うた。「どうしようもありません。今の時代でこの世の原則を実践することは。私は近ごろ熱心に原則を実践しようとして、土産物を差し出してその場を殿様方に求めているのですが、誰も受け付けません。今はもう、原則は廃れるばかりですなあ。」

老子「売り込む方は口車の工夫に目的を忘れ、聞く方は口車にだまされるからですな。(互いにこの世の原則でないニセモノを売り買いしているわけです。)このからくりを見抜いているなら、(常にそこにある)原則を忘れるなどということはありません。」

孔子家語・訳注

1

明堂:祖先祭殿。ここでは周の都・洛邑に滞在中だから、周王室の祖先祭殿。

墉:築地塀。

堯舜:伝説上の古代の聖天子。

桀紂:伝説上の古代の暴君。ただし殷の紂王は実在の人物と言っていい。

周公:周王室の一族で、摂政として幼い成王を補佐した。

成王:位BC1042-BC1021。周第二代の王。

斧扆:斧とついたて。斧は君主の刑罰権の象徴で、儀式の際には玉座の後ろに飾った。は玉座の後ろに立てるついたて。屏風のようなもの。

南面:中国では、君主は南向きに座った。

俳佪:歩き回る。

卻走:逆走り。

2

金人:うっかりすると金粉ショーを想像してしまうが、青銅(銅と錫の合金。近代まで大砲の材料でもあったため、砲金とも呼ぶ)で作った人の像のこと。古代中国では金はAuを意味することは珍しく、主に青銅を指した。

焰焰(焔焔):『学研漢和大字典』によると、焔はほのお。めらめらともえる火。ともしびの先端の特に明るい部分。形声文字。「火+(音符)臽(カン)」で、盛んにもえる火。臽(穴にはまる)はたんなる音符で、もとの意味とは関係がない、という。

炎炎:『学研漢和大字典』によると炎は会意文字「火+火」で、盛んに燃えるさまを示す。曄(ヨウ)はɦɩap-ɦiɛpという発音で、炎と語尾が入れかわったことば。▽談・啖・淡などの音符としては、タンと読むことがある、という。

涓:しずく。

江河:大きな河川。古代では華北で大河を河と言い、華南で江と言った。

綿綿:かすかなさま。

不絕,或成網羅,毫末不

札:サツ(ぬく)の誤りだと古来解する。

斧柯:斧の柄。

強梁:しんが強い。がんこで気力が強いこと。

3

道:原則。

比:このごろ。

執道,而今委質以求當世之君,而弗受也。道於今難行也!」老子曰:「夫說者流於辯,聽者亂於辭,知此二者,則道不可以忘也。」

孔子家語・付記

1は孔子の発言部分が、『韓詩外伝』巻七・『説苑』尊賢篇・『大載礼記』保傅篇に類似の記述がある。

2は『説苑』敬慎篇のコピペ。

3は『説苑』反質篇のコピペ。ここでは、孔子の言う「道」と老子の言うそれが噛み合っていない。

孔子にとっての道とは、孔子があこがれるようにして想像した、周公が作った礼儀作法と制度のことであり、事実それが周公作なのかは極めて怪しい。加えて所詮人間がこしらえたお約束ごとであり(論語における「礼」)、利益がなければ誰も実践しないのは当然だった。

一方道家的立場で言う道とは、物理法則に近いもので、日が又昇るとか月の満ち欠けとか季節の巡りとか、天地万物を運用している原則を指す。だらかそもそも道を実践するというのは、ちっぽけな人間にとっておこがましいことであり、すさまじい偽善でもある。

現代で言えば「ちきゅうにやさしい」たぐいの話で、ゆえに老子は「売る方はでたらめばっかり、買う方は馬鹿ばっかり」と言ったわけ。

道家のこの自然科学的傾向は、古代中国での錬金術=煉丹術を道家が独占することになり、儒家に自然科学的見地が入るのは、宋代になって儒家の側が道家の教説を取り込んで以降のことになる。

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