『孔子家語』現代語訳:儒行解第五(3)

孔子家語・原文

儒有內稱不辟親,外舉不辟怨,程功積事,不求厚祿;推賢達能,不望其報;君得其志,民賴其德;苟利國家,不求富貴;其舉賢援能有如此者。
儒有澡身浴德,陳言而伏,言而正之,上不知也;默而翹之,又不為急也;不臨深而為高,不加少而為多;世治不輕,世亂不沮;同己不與,異己不非;其特立獨行有如此者。
儒有上不臣天子,下不事諸侯;慎靜尚寬,砥礪廉隅;強毅以與人,博學以知服;近文章。雖以分國,視如錙銖,弗肯臣仕;其規為有如此者。
儒有合志同方,營道同術,竝立則樂,相下不厭,久別則聞流言不信;義同而進,不同而退;其交有如此者。
夫溫良者,仁之本也;慎敬者,仁之地也;寬裕者,仁之作也;遜接者,仁之能也;禮節者,仁之貌也;言談者,仁之文也;歌樂者,仁之和也;分散者,仁之施也。儒皆兼而有之,猶且不敢言仁也;其尊讓有如此者。
儒有不隕穫於貧賤,不充詘於富貴,不溷君王,不累長上,不閔有司,故曰儒。今人之名儒也妄,常以儒相詬疾。」
哀公既聞此言也,言加信,行加敬,曰:「終歿吾世,弗敢復以儒為戲矣。」

孔子家語・書き下し

儒にこれ有り。内に称うるに親を辟け不、外に挙ぐるに怨を辟け不、功を程(あらわ)し事を積むに、厚き禄を求め不、賢きを推めて能を達すも、其の報いを望ま不。君其の志を得て、民其の徳に頼る。苟くも国家を利せんとすれば、富貴を求め不。其の賢を挙げ能を援くるや此の如き者有り。

儒にこれ有り。身を澡(きよ)めて徳を浴び、言を陳ね而伏し、言い而之を正すも、上知ら不る也。黙し而之を翹(あ)ぐるも、又た急ぎを為さ不る也。深きに臨み而高しと為さ不、少きに加え而多しと為さ不、世治るも軽から不、世乱るるも沮(はば)ま不、己に同じくも与せ不、己と異なるも非(とが)め不。其の特(ぬきい)で立ちて独り行うや此の如き者有り。

儒にこれ有り。上は天子に臣(つか)え不、下は諸侯に事え不。慎み静かにして尚お寛く、廉隅(レングウ)を砥砺(みが)き、強く毅き以て人に与し、博き学び以て服(したがう)を知り、文の章かなるに近づく。国を以て分つと雖も、錙銖の如く視、臣として仕うるを肯んぜ弗。其の規(のり)為たるや此の如き者有り。

儒にこれ有り。志を合わせて方びを同じうし、道を営みて術を同じうし、並び立ちて則ち楽み、相下りて厭わ不、別るること久しくして則ち流言を聞きても信ぜ不、義同じく而て進み、同から不る而て退く。其の交りや此の如き者有り。

夫れ温良者、仁之本也。慎しみ敬やう者、仁之地也。寛く裕き者、仁之作せる也。遜りて接く者、仁之能(はたらき)也。礼節者、仁之貌也。言談者、仁之文也。歌楽者、仁之和する也。分れ散る者、仁之施(および)也。儒皆兼ね而之有り、猶お且つ敢えて仁を言わ不る也。其の譲りを尊ぶや此の如き者有り。

儒にこれ有り。隕ち不して貧賎於(に)穫、充た不して富貴於詘(しりぞ)け、君王を溷(みだ)さ不、長上を累(わずらわ)さ不、有司を閔(なやま)さ不、故に儒と曰う。今人之儒と名づくる也妄なり、常に儒を以て相い詬(はずかし)め疾(にく)む。」哀公既に此言を聞く也、言に信を加え、行いに敬いを加う。曰く、「吾が世の歿(おわ)りを終えるまで、敢えて復た儒を以て戯と為さ弗(ざ)矣(らん)。」

孔子家語・現代語訳

〔承前〕

孔子「儒者とはこういう者です。家庭内では親をも讃え、公的な場では、怨みのある者でも推薦し、業績を挙げ成果を積み上げても、高禄を求めず、賢者を推薦して才能を発揮させても、その報酬を望まない。君主がその志を遂げて、民を自分の人徳に頼らせる。国家の利益を考えて、富貴を求めない。その賢者を推薦し能力を援けること、この通りです。

身辺を清潔にして人徳を目にするのを喜び、言葉を述べて隠れ住み、言葉で人を正しい道に導いても、君主に知られない。黙って世の中に貢献しても、急いで成果を求めない。困難を目前にしても難しいとは思わず、些細な仕事を終えてもよく働いたとは思わず、世の中が治まっても油断せず、世の中が乱れても抵抗しない。自分と意見が同じでもつるまず、意見が異なってもとがめない。その抜きん出て独り使命を果たすのはこの通りです。

上は天子にも仕えない。下は諸侯にも仕えない。慎んで静かに過ごしてさらに寛大となり、品性を磨き、強い信念を伴って人に味方し、幅広く学んで従うことを知り、文明の精華に近づく。国を分かち与えるといってもびた銭のように思い、家臣として仕えるのを拒む。その信念はこの通りです。

人と志を合わせて共にあり、正しい道に生きてその術を互いに学び、並び立てば楽しみ、相いに譲って不愉快に思わず、別れてから久しくなっても噂を信じず、正義を共有して世を過ごし、共有できなくなれば離れる。その交友はこの通りです。

そもそも温和で善良な性格は、仁の根っこです。慎しみ敬やうことは、仁を養う素地です。寛容で人をとがめないのは、仁の結果です。譲って交わるのは、仁のはたらきです。礼節は、仁の顔です。言葉は、仁のかざりです。歌と音楽は、仁が和んだ結果です。分れ散るのは、仁の作用です。儒皆は全てを兼ねています。それでも仁を口にしません。その謙虚さを尊ぶさまは、この通りです。

品性を落とさずに貧賎の中に生活の糧を得、不十分な暮らしをして富貴をしりぞけ、君王を乱さず、上官に手間を掛けさせず、役人を悩ませない。だから儒と言います。今の人が儒と呼ぶ人は、儒ではありません。むやみにあれは儒だ儒だと呼んで、普段から本当の儒者を馬鹿にし憎んでいるのです。」

哀公はすでにこの言葉を聞いて、孔子の言葉をいっそう信頼し、行いをいっそう敬った。そして言った。「私が死ぬまで、わざと儒者を馬鹿にするようなことはしない。」

孔子家語・訳注

廉隅:〔漢語網〕品性・朝堂。

孔子家語・付記

本篇はここで終わる。

他の篇もそうだが、訳者は辞書は引いても、訳本や解説書のたぐいを読まずに訳す。だから間違いはあるだろう。それでもそうしないのは、一つは漢文読解力を落とさないため、もう一つは訳本に振り回されると自分の訳でなくなるため、最後は、儒者や漢学者を信用していないから。これが一番大きい。

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