孔子家語・原文
曾子曰:「不勞不費之謂明王,可得聞乎?」孔子曰:「昔者,帝舜左禹而右皋陶,不下席而天下治。夫如此,何上之勞乎?政之不中,君之患也;令之不行,臣之罪也。若乃十一而稅,用民之力,歲不過三日;入山澤以其時而無征,關譏市鄽皆不收賦。此則生財之路,而明王節之,何財之費乎?」
曾子曰:「敢問何謂七教?」孔子曰:「上敬老,則下益孝;上尊齒,則下益弟;上樂施,則下益寬;上親賢,則下擇友;上好德,則下不隱;上惡貪,則下恥爭;上廉讓,則下恥節。此之謂七教。七教者,治民之本也。政教定,則本正矣。凡上者,民之表也。表正則何物不正?是故人君先立仁於己,然後大夫忠而士信,民敦俗樸,男愨而女貞。六者、教之致也。布諸天下四方而不怨*,納諸尋常之室而不塞,等之以禮,立之以義,行之以順,則民之棄惡如湯之灌雪焉!」
*和刻本に従い「窕」を改めた。
孔子家語・書き下し
曽子曰く、「労せ不費さ不らば、之を明王と謂うは、聞いて得る可き乎」と。孔子曰く、「昔者、帝舜禹を左に而て皐陶を右にし、席を下り不而て天下治まる。夫れ此の如き、何ぞ上之労あらん乎。政之中ら不るは、君之患い也。令之行われ不るは、臣之罪也。若し乃ち十一に而て税(みつぎ)となし、民之力を用うるに、歳に三日を過ぎ不、山沢に入るに其の時を以て而て征(みつぎ)無く、関は譏(とが)め市は鄽(みせ)なさしめて皆な賦を収め不らば、此れ則ち財を生む之路なり、而て明王之を節(さだ)むらば、何ぞ財之費あらん乎」と。曽子曰く、「敢えて問う、何をか七教と謂う」と。孔子曰く、「上の老を敬わば、則ち下は益〻孝ならん。上の歯(とし)を尊とばば、則ち下益〻弟ならん。上の施しを楽しまば、則ち下益〻寛かならん。上の賢に親まば、則ち下友を択ばん。上の徳を好まば、則ち下隠さ不。上の貪りを悪まば、則ち下争いを恥ず。上譲るに廉(かどめ)あらば、則ち下節(さだめ)を恥ず。此を之れ、七教と謂う。七教者、治民之本也。政教定まらば、則ち本正しき矣(なり)。凡そ上たる者は、民之表也。表正しからば則ち何れの物の正しから不らん。是の故に人君は先ず仁を己於(に)立つれば、然る後大夫は忠に而て士は信たり、民は敦くして俗は樸たり、男は愨(つつしみ)而女は貞(ただ)し。六者、教之致る也。諸(これ)を天下四方に布き而怨まれ不、諸を尋常之室に納れて而塞がら不、之を等(わ)くるに礼を以てし、之を立つるに義を以てし、之を行うに順を以てせば、則ち民之悪を棄つること湯之雪に潅ぐが如きなら焉(ん)」と。
孔子家語・現代語訳
〔承前〕
曽子が言った。「疲れず費やさないなら、これを明王と言っていいのでしょうか、お聞かせ頂けますか。」孔子が言った。「昔、帝舜が禹(ウ)と皐陶(コウトウ)を左右の補佐官として、玉座を降りることなく天下が治まった。こんな政治なら、どうして為政者が疲れようか。政治が不適切なのは、君主の悩みだが、政令が行われないのは、臣下の罪だ。
もし十分の一税だけを取り、民の労役義務は年に三日を過ぎず、山や沢で民が狩りや野摘みをするのに、時期だけ定めて入場料を取らず、関所は怪しい者を取り締まるだけ、市場は店を出させるだけで、一律に通行料や場所代を取らなければ、これはとりもなおさず財産を生む手立てだ。明王がそうした決まりを定めれば、どうして財政を費やす必要があるかね。」
曽子が言った。「どうか教えて下さい、七教とは何ですか。」孔子が言った。「為政者が老人を敬えば、民衆はますます孝行に励む。為政者が年長者を尊べば、民衆はますます年長者に従う。為政者が施しを楽めば、民衆はますます心が落ち着く。為政者が賢者と親めば、民衆は友を選ぶようになる。為政者が徳を好めば、民衆は隠し事をしない。為政者が欲張りを嫌うと、民衆は争いを恥じる。為政者が謙虚になると、民衆は掟にそむくのを恥じる。これを七教と言う。
七教は、民を治める根本だから、政治や教育が安定すれば、この根本は正しくなる。そもそも為政者は、民衆の代表だ。代表が正しければ、何物が正しくないだろう。だから君主が率先して常時無差別の愛を身につければ、家老は素直になり士族は正直になる。民は情け深くなり、世論は従順になる。男は慎み深く、女は道徳的になる。
六というのは、教えの極致だ。これを天下のあらゆる所に適用しても怨まれないし、これを普通の家庭に適用しても行き詰まることがない。これを身分ごとに適用するのに礼法に従い、これを確立するのに正義を後ろ盾とし、これを執行するのに従順さを伴えば、民が悪行をやめるまでの景色は、雪に湯を注ぐようなものにちがいない。」
孔子家語・訳注
鄽(テン):店。
愨(カク):つつしみ。
孔子家語・付記
前回の続き。本篇が戦国時代から漢代に至るまでに成立した『大載礼記』のほぼ引き写しであることはすでに記したが、前回にすでに出てきた「七教三至」という数え方が、すでに孔子の言葉ではないことを証拠立てている。
論語時代から、単数ではない、多くはないが少なくもないことの表し方として「三」を用いることはあったが、孔子は「六言六蔽」(陽貨篇)のように、同じものを数え上げる時、ここに見るような奇数にこだわってない。数え上げで奇数にこだわるのは、易の言う「陽」だからで、なぜ偶数=「陰」ではいけないかは、易者にでも聞くしかない。
ともあれ数え上げを奇数に合わせるために、七教では老人と年長者と、二度同じ概念の対象を敬えと説教しなければいけなくなった。まとめて「年上を敬え」と言えば済む話である。かように論語より後の古典には、別に論旨に必要のない概念まで数え上げ、後世の読者を悩ませているものが多い。
だから七教と書きながら、すぐ後で「六というのは、教えの極致だ」と数の揃わぬ事を書くはめになる。それゆえ本章も一字一句の意味にこだわって読もうとすると頭がおかしくなるから、ざっと流し読みすればいい。
儒者の下らぬ形式主義に、読者が付き合う必要はさらさら無いのだから。また、狩り場の入場料や関所で通行料云々の部分も、『孟子』を読んでいなければ出てこない発想で、だから王粛はでっち上げをするにしても、芸が無いと現代人たる訳者には思えるわけ。