『孔子家語』現代語訳:相魯第一(4)

孔子家語・原文

孔子事跡図解 中都宰

初,魯之販羊有沈猶氏者,常朝飲其羊以詐市人;有公慎氏者,妻淫不制;有慎潰氏者,奢侈踰法;魯之鬻六畜者,飾之以儲價。及孔子之為政也,則沈猶氏不敢朝飲其羊;公慎氏出其妻;慎潰氏越境而徙。三月,則鬻牛馬者不儲價;賣羔豚者不加飾;男女行者別其塗;道不拾遺,男尚忠信,女尚貞順;四方客至於邑者,不求有司,皆如歸焉。

孔子家語・書き下し

初め、魯之羊を販(ひさ)ぐ沈猶氏なる者有り。常に朝に其の羊に飲ませて以て市の人を詐(いつわ)る。公慎氏なる者有り、妻淫らにて制(ひか)え不(ず)。慎潰氏なる者有り、奢(おご)り侈(おご)りて法を踰(こ)ゆ。魯之六畜を鬻(ひさ)ぐ者、之を飾るに儲けの價(あたい)を以てす。孔子之政を為すに及ぶ也(や)、則ち沈猶氏は敢て朝に其の羊に飲ませ不、公慎氏は其の妻を出(いだ)し、慎潰氏は境を越え而(て)徙(うつ)る。三月にして、則ち牛馬を鬻ぐ者儲けの價いをせ不、羔豚を賣る者は飾りを加え不、男女の行く者は其の塗(みち)を別(わ)け、道に遺せるを拾わ不、男は忠信を尚(とうと)び、女は貞順を尚び、四方(よも)の客にして邑於(に)至る者は、有司に求め不とも、皆な歸するが如くなり焉(たり)。

孔子家語・現代語訳

孔子が政治を執る前、魯の羊屋に沈猶(チンユウ)氏という者がいた。いつも朝になると羊に水を飲ませて、市場で買う人に目方をごまかした。公慎氏という者がおり、妻は淫乱で性生活に締まりがなかった。慎潰氏という者がおり、ぜいたくにふけって法の規定を超えていた。魯で家畜を売る者は、売値をふっかけていた。

孔子が政治を執るようになると、すぐさま沈猶氏は水を飲ませないようになり、公慎氏は妻を離縁し、慎潰氏は国境を越えて国外逃亡した。政治を執って三ケ月過ぎると、すっかり牛馬を売る者はふっかけなくなり、仔羊や豚を売る者はごまかしを言わなくなった。

道を行く男女は離れて歩くようになり、道の落とし物を猫ばばする者もいなくなった。男は素直と正直を尊び、女は性欲を慎み夫をバカにしなくなった。郊外に住む者がまちに来ても、役人を煩わせることなく町掟や課税に従うようになった。

孔子家語・訳注

六畜:牛・馬・羊・豚・犬・鶏の、食用となる家畜を言う。

四方客至於邑者,不求有司,皆如歸焉:現代語訳は上記の通りだが、もとの『史記』の文章を作者の王粛は誤読したようで、本来は「郊外から魯の都城に来た行商人は、役人に訴え出なくても、商品の代金を踏み倒されず商売して帰れるようになった。」

孔子家語・付記

『史記』の記述を元にした創作の物語。

「犬を食う」と聞けばたいていの日本人は「エェーッ!」と言うだろうし、最近では中国人が犬肉を食うことをあまり言わなくなった。しかし訳者の学生時代には、中国語の教科書に堂々と載っていて、「犬肉と思っただけでよだれが出る」という現代中国人との対話が記載されていた。

「空を飛ぶものは飛行機以外、四本足は机以外何でも食う」と言われる中華料理で、犬肉は間違いなく、伝統的で由緒正しき中華食材だ。ただし高級品ではなかったことは、「羊頭狗肉」という言葉に表れている。ともあれ人食いはともかく、当人が美味しいと思っているなら、何を食おうと別に他人がとやかくいう事ではない。

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