『孔子家語』現代語訳:相魯第一(3)

孔子家語・原文

孔子聖蹟図 論語 禮堕三都

孔子言於定公曰:「家不臧甲,邑無百雉之城,古之制也。今三家過制,請皆損之。」乃使季氏宰仲由隳三都。叔孫不得意於季氏,因費宰公山弗擾,率費人以襲魯。孔子以公與季孫、仲孫、叔孫,入於費氏之宮,豋武子之臺。費人攻之,及臺側,孔子命申句須、樂頎,勒士眾,下伐之,費人北,遂隳三都之城,強公室,弱私家,尊君卑臣,政化大行。

孔子家語・書き下し

孔子定公於(に)言いて曰く、「家に甲(よろい)を臧(しま)わ不、邑(まち)に百雉之城無きは、古之制也。今三家は制(さだめ)に過ぐ。請うらくは皆な之を損(こぼ)たん」と。乃ち季氏の宰仲由を使て三都を隳(こぼ)たしむ。叔孫意を季氏於(に)得不(ず)、因りて費の宰公山弗擾、費人を率いて以て魯を襲う。孔子、公與(と)季孫、仲孫、叔孫を以て、費氏之宮於入り、武子之臺に豋る。費人之を攻め、臺の側に及ぶ。孔子、申句須、樂頎に命じて、士眾を勒(ひき)い下りて之を伐たしむ。費人北(に)げ、遂に三都之城を隳つ。公室を強め、私家を弱め、君を尊びて臣を卑しむ、政化大いに行わる。

孔子家語・現代語訳

孔子が定公に言った。「臣下は家によろいを持たず、都市の城壁は百雉を超えないのは、古からの定めです。今、魯国の三家老家は定めに違反しています。願い上げます、これを全て壊しましょう。」そこで季氏の執事をしていた、弟子の子路に、三家の根城それぞれを壊させた。

三家のうち叔孫氏は、季氏と仲が悪く、そこで費の代官・公山弗擾(コウザンフツユウ)が、費の住人を率いて魯の都城を襲った。孔子は定公と季孫、仲孫、叔孫の当主と共に、費氏の屋敷に入り、先々代武子が作った高台に豋った。費の軍勢がこれを攻め、高台のそばまで押し寄せた。

孔子は、申句須(シンクシュ)、楽頎(ガクキン)に命じ、兵と将校を率いて台を下りさせ、費の軍勢を伐たせた。費の軍勢は逃げ散り、とうとう三つの城郭を壊した。こうして魯の公室を強め、三家老家を弱め、君主の権威を高め、家臣に分を守らせた。政治と教育は大いに発展した。

孔子家語・訳注

雉(チ):高さ一丈(≒180cm)、長さ一丈の城を堵といい、三堵を雉という。しかし高さ540mの城壁はあり得ないので、百雉の城と言えば高さ一丈または三丈、周囲または一辺540m程度の城壁と解する。

隳(キ):壊す。

費:季氏の根城。

武子:李氏の当主・桓子の先先代・李武子。

勒士眾:人名とも取れるし、”率いる軍勢”とも読める。

孔子家語・付記

『史記』『左伝』をもとに後世作られた物語。

『史記』などの記述では三都のうち、上記のように季孫氏の費邑、叔孫氏の郈(コウ)邑は破壊できたが、孟孫氏の根城・成邑は壊せず、孔子失脚の一因となった。

論語 魯国地図

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コメント

  1. 如斎 より:

    「攻」は連用形だと思うのですが、「攻む」の連用形は「攻め」ではないですか?それとも送仮名の都合でこうなっているのでしょうか。