孔子家語・原文
孔子遂言曰:「三代明王必敬妻子也,蓋有道焉。妻也者,親之主也;子也者,親之後也,敢不敬與?是故君子無不敬。敬也者,敬身為大;身也者,親之支也,敢不敬與?不敬其身,是傷其親;是傷其本也;傷其本,則支從之而亡。三者、百姓之象也。身以及身,子以及子,妃以及妃,君能修此三者,則大化愾乎天下矣。昔者大王之道也如此,國家順矣。」
公曰:「敢問何謂敬身?」孔子對曰:「君子過言則民作辭,過行則民作則;言不過辭,動不過則,百姓恭敬以從命。若是,則可謂能敬其身,敬其身,則能成其親矣。」
公曰:「何謂成其親?」孔子對曰:「君子者、人之成名也。百姓與名,謂之君子,則是成其親為君而為其子也。」
孔子遂言曰:「為政而不能愛人,則不能成其身;不能成其身,則不能安其土;不能安其土,則不能樂天。不能樂天,則不成其身。」
公曰:「敢問何謂能成身?」孔子對曰:「夫其行己不過乎物,謂之成身;不過乎物,合天道也。」
公曰:「君子何貴乎天道也?」孔子曰:「貴其不已也。如日月東西相從而不已也,是天道也;不閉而能久,是天道也;無為而物成,是天道也;已成而明之,是天道也。」
公曰:「寡人且愚冥,幸煩子志之心也。」孔子蹴然避席而對曰:「仁人不過乎物,孝子不過乎親。是故仁人之事親也如事天,事天如事親,此謂孝子成身。」
公曰:「寡人既聞如此言也,無如後罪何?」孔子對曰:「君之及此言,是臣之福也。」
孔子家語・書き下し
孔子遂に言いて曰く、「三代の明王、必ず妻子を敬う也。蓋し道有り焉(なん)。妻也(なる)者は、親之主也。子也者は、親之後也。敢えて敬わ不らん与(か)。是れ故に君子敬わ不る無し。敬也者は、身を敬うを大と為す。身也者は、親之支(えだ)也。敢えて敬わ不らん与。其の身を敬せ不らば、是れ其の親を傷つくるなり。是れ其の本を傷つくる也。其の本を傷つかば、則ち支之に従い而亡ばん。三者は、百姓之象(かがみ)也。身以て身に及ぼし、子以て子に及ぼし、妃以て妃に及ぼす。君能く此の三者を修まば、則ち大いに化(おしえ)天下乎(に)愾(み)ちる矣(なり)。昔者大王之道也此の如くして、国家順う矣」と。公曰く、「敢えて問う、何をか身を敬うと謂う」と。孔子対えて曰く、「君子言を過たば則ち民辞と作し、行いを過たば則ち民則と作す。言過た不して辞たり、動き過た不して則たり。百姓恭い敬みて以て命に従う。是の若からば、則ち能く其身を敬うと謂う可し。其の身を敬わば、則ち能く其の親を成す矣」と。公曰く、「何をか其の親を成すと謂う」と。孔子対えて曰く、「君子者、人之成せる名也。百姓名を与え、之を君子と謂はば、則ち是れ其の親と成し、君と為し而、其の子と為る也。」孔子遂に言いて曰く、「政を為し而人を愛する能たわ不らば、則ち其の身を成す能わ不。其の身を成す能わ不らば、則ち其の土を安んずる能わ不。其の土を安んずる能わ不らば、則ち天を楽しむ能わ不。天を楽しむ能わ不らば、則ち其の身を成さ不」と。公曰く、「敢えて問う、何をか能く身を成すと謂う」と。孔子対えて曰く、「夫れ其の己を行うに物乎(に)過た不るを、之れ身を成すと謂う。物乎過た不らば、天道に合う也」と。公曰く、「君子何をか天道乎貴き也(や)」と。孔子曰く、「其の已(や)ま不るを貴ぶ也。日月の東西して相い従い而已ま不るが如き也,是れ天道也。閉じ不而て能く久しき、是れ天道也。為す無く而て物成る、是れ天道也。已に成り而て之を明らかになす、是れ天道也」と。公曰く、「寡人且つ愚にして冥(くら)し。幸に子を煩して之を心に志(しる)す也」と。孔子蹴然として席を避け而対えて曰く、「仁人物乎過た不、孝子は親乎過た不。是の故に仁人之親に事うる也天に事うるが如し、天に事うるが如くして親に事う、此れを孝子の身を成すと謂う」と。公曰く、「寡人既に此の如き言を聞く也、後罪を如何とする無し」と。孔子対えて曰く、「君之此の言に及ぶは、是れ臣之福(さいわい)也。」
孔子家語・現代語訳
〔承前〕
孔子はとうとう言った。「夏・殷・周の三代の明王は、必ず妻子を敬いました。そこにはおそらく原則があったでしょう。子を産む妻こそ親の中の親です。子は親の跡を継ぐ者です。心して敬わないわけにはいきません。だから貴族は、敬わないという事がないのです。
敬いとは、その体を敬うのが要(かなめ)です。なぜなら体は、親から受けた親の枝だからです。心して敬わないわけにいきません。体を敬わないという事は、親を傷付けるのと同じです。それは自分の根を断ち切るのと同じです。根が断ち切られたら、ただちに枝は滅びます。
ここに民衆の手本となる、三つの敬いがあります。体で体を敬い、子で子を敬い、妃で妃を敬うことです。殿がこの三つを習得できれば、ただちに大いに、正しい道徳が天下に充ちるでしょう。昔の大王の道はこのようでした。それで国家は君主に順ったのです。」
公が言った。「教えてくれるか。体を敬うとはどういうことか。」
孔子が答えて言った。「貴族が言葉を間違えても、民はそのまま貴族の言葉として受け取ります。行いを間違えても、そのまま民は見習います。本当は間違えない言葉を受け取られ、間違いのない行動が手本となるべきです。だから民衆はかしこまり敬まって命令に従うからです。
そのようにできて、やっとその体を敬うと言えるのです。そう言えるなら、とりもなおさず親を親らしく扱ったことになるのです。」
公が言った。「親を親らしく扱うとはどういうことか。」
孔子が答えて言った。「貴族(君子)とは、人が作った言葉です。民衆が名を与えて、貴族を貴族と呼ぶのは、とりもなおさず貴族を親と思い、主君と思い、主君の子となるからです。」
孔子はとうとう言った。「政治を行って人を愛する事が出来ないなら、まぎれもなくその体を保つことは出来ません。そうなると、まぎれもなく領地を保つことは出来ません。そうなると、天の定めを楽しめず、楽しめないなら体を保てません。」
公が言った。「聞きたいのだが、体を保つとはどういうことか。」
孔子が答えて言った。「そもそも自分の意志で行動して、過ちがないのを体を保つと言います。行動に過ちがなければ、天の道にかなっています。」
公が言った。「貴族は天の道の何を尊べばいいのか。」
孔子が言った。「天の道に終わりがない、その永遠さを尊ぶのです。太陽や月が相いに従いながら東西に動いて止まらないようなことです。これが天の道です。終わることなく永続できる、これが天の道です。何もしないようで万物を生み出す働き、これが天の道です。無限の過去から存在して、人の目に明らかに見える、これが天の道です。」
公が言った。「私は愚かでもの知らずだった。幸いにもそなたを煩わして道理を知ったが、今の教えを心に記そう。」
孔子は飛び上がるように席を立ち、公に正面から向き直って言った。「仁者は物事を間違えず、孝行者は親との関係を間違えません。だから仁者が親に仕えるには、天に仕えるように行うのです。そのように親に仕える、これを孝行者が体を保つと言うのです。」
公が言った。「私はすでにこういう話を聞いた。後で間違いを起こしても言い訳は出来ないな。」
孔子は答えて言った。「殿がそう仰せになるのは、臣下として幸いでございます。」
孔子家語・訳注
なし
孔子家語・付記
思案中