『孔子家語』現代語訳:始誅第二(2)

孔子家語・原文

孔子聖蹟図 赦父子訟

孔子為魯大司寇。有父子訟者,夫子同狴執之,三月不別,其父請止,夫子赦之焉。季孫聞之,不說,曰:「司寇欺余,曩告余曰:國家必先以孝。余今戮一不孝以教民孝,不亦可乎?而又赦,何哉?」冉有以告孔子,孔子喟然歎曰:「嗚呼!上失其道而殺其下,非理也;不教以孝而聽其獄,是殺不辜;三軍大敗,不可斬也;獄犴不治,不可刑也。何者?上教之不行,罪不在民故也。夫慢令謹誅,賊也;徵歛無時,㬥也;不試則成,虐也。故無此三者,然後刑可即也。《書》云:『義刑義殺,勿庸以即汝心,惟曰未有慎事。』言必教而刑也。陳道德以先服之,而猶不可,尚賢以勸之;又不可,即廢之;又不可,而後以威憚之。若是三年而百姓正矣。其有邪民不從化者,然後待之以刑,則民咸知罪矣。《詩》云:『天子是毗,俾民不迷。』是以威厲而不試,刑錯而不用。今世則不然,亂其教,繁其刑,使民迷惑而陷焉,又從而制之,故刑彌繁而盜不勝也。夫三尺之限,空車不能登者,何哉?峻故也;百仞之山,重載陟焉,何哉?陵遟故也。今世俗之陵遟久矣,雖有刑法,民能勿踰乎?」

孔子家語・書き下し

孔子魯の大司寇為りて、父子の訟うる者有り。夫子狴(ひとや)を同じうして之を執え、三月別れしめ不、其の父止むを請うに、夫子之を赦し焉(たり)。季孫之を聞きて、說ば不して曰く、「司寇余を欺けり、曩(さき)に余に告げて曰く、国家必ず先にするは孝を以てすと。余今一の孝なら不るを戮して以て民に孝を教えんとしたるは、亦いに可なら不乎。而るに又た赦すは、何ぞ哉」と。冉有以て孔子に告ぐ。孔子喟然として嘆じて曰く、「嗚呼、上其の道を失い而其の下を殺すは、理に非る也。教え不して孝を以て而て其の獄を聴くは、是れ辜なら不るを殺すなり。三軍大いに敗れるも、斬る可から不る也。獄犴(ひとや)治ら不らば、刑(つみ)する可から不る也。何となれ者(ば)、上之を教えて行われ不るは、罪民に在ら不るが故也。夫れ令を慢(ないがしろ)にして誅すを謹むは、賊(そこな)う也。徵斂(とりたて)に時無きは、暴(もと)る也。試さ不して則ち成らしむは、虐(しいた)ぐ也。故に此の三者無くして、然る後に刑(つみする)に即く可き也。書に云う、『義しく刑し義しく殺す、庸(もちい)るに以て汝の心に即く勿れ、惟だ曰え、未だ慎む事有らずと』と。言わば必ず教え而刑する也。道徳を陳(の)べて以て先ず之に服(したが)わしめ、而て猶お可なら不らば、賢を尚びて以て之を勧む。又た可なら不らば、即ち之を廢つ。又た可なら不らば、而て後に威を以て之を憚からしむ。若く是れ三年に而て百姓正しくなり矣(なん)。其れ邪(よこしま)なる民の化(おしえ)に従わ不る者有らば、然る後之を待ちて以て刑するは、則ち民咸な罪を知れば矣(なり)。詩に云う、『天子是れ毗(あつ)きかな、民を俾て迷わ不らしむ』と。是れ威を以て厲しくし而試さ不、刑するを錯(お)い而用い不。今の世は則ち然ら不、其の教えを乱し、其の刑するを繁くし、民を使て迷い惑わせ而陷(おとしい)る焉(なり)、又た従い而之を制(しば)る。故に刑するは弥よ繁くし而盜は勝(かぞ)え不る也。夫れ三尺之限(くぎり)は、空車も登る能わ不る者(は)、何ぞ哉。峻(けわし)きが故也。百仞之山、重く載(にな)いて陟(のぼ)り焉(ぬる)は、何ぞ哉。陵(さか)遟(おそ)きが故也。今、世俗之陵遟きは久しき矣(なり)、刑する法有りと雖も、民能く踰ゆる勿らん乎」と。

孔子家語・現代語訳

孔子が魯の司法大臣になって、父と子が互いに訴えた者がいた。先生は牢屋を同じにして二人を監禁し、三ケ月別れさせなかった。するとその父が取り下げを願ったので、先生は二人を許した。

筆頭家老の季孫がこれを聞いて、喜ばずに言った。「司法大臣は私をだました。以前私に言った。”国家は必ず親孝行を重視する”と。私は今、一人の不幸者を殺してそれで民に孝行を教えようとしたのだが、たいへんいい事ではないか。ところが釈放とは、どういうわけだ。」

孔子の弟子で、季氏に仕えていた冉有が、そのまま孔子に告げた。孔子はため息をついて言った。

「ああ、権力者が正しい政道を失ってしもじもの民を殺すのは、理にかなっていない。道理や道徳を教えないで裁判だけするのは、罪のない者を殺すのと同じだ。全軍が大敗しても、いくさは時の運だから、将兵を斬るべきではない。同様に収監の法が正しくないなら、処罰すべきではない。

なぜなら権力者が教育しても民を躾けられないのは、民のせいではないからだ。法令がいい加減なのに、むやみに死刑にするのは、民を傷付けるものだ。税の取り立てに時期を定めないのは、正義にそむくものだ。仕事の手ほどきをしないのに即戦力を期待するのは、いじめというものだ。

この三つを避けて、やっと処罰していいのだ。書経にこうある、”正しく刑罰を行い、正しく死刑を行え。自分の気分次第で行ってはならない。ひとえにこう言え、まだ慎重に裁くことが出来ない”と。そう言うからには、必ず教えてから刑罰を下すことになる。

まともな司法とは、道徳を民に教えてまずそれに従わせ、それでダメなら賢者を呼んできて教育させる。それでダメなら道徳を教えるのを止める。それでダメなら権威で怖がらせて従わせる。この試みを少なくとも三年続けたら、民衆はまともになるだろう。それでもならず者が出て教えにそむくようなら、処刑してもいい。民は何が罪なのかを、みな知っているからだ。

詩経にこうある、”天子さまは情け深いな、民を惑わせるようなことをしない”と。これは権威を激しくできるのに試さず、刑罰を取りやめて用いないことを歌っている。

しかし今の世の中はそうでない。教育は無茶苦茶で、刑罰ばかりやたらに行い、民衆を惑わせて落とし入れているのだ。また刑法に従って民衆を縛り付ける。だから刑罰は益々頻繁なのに、盗賊のたぐいがうじゃうじゃ出て、数えることが出来ない。

たった三尺の段差を、空の車が超えられないのはなぜか。険しいからだ。百仞の山でも、荷物を載せて登れるのはなぜか。坂が緩やかだからだ。世間の習俗が緩やかになって久しい。だから今さら刑法を厳しくしても、民が法を破らないでいられるだろうか。」

孔子家語・訳注

狴(ヘイ)・獄・犴(ガン):牢屋。

論語 監獄

徵歛:税や労役を取り立てること。

毗(ひ):あつい。たすける。

厲(レイ):ヤスリで削る。はげしい。

尺:論語の時代では約20cmという。

仞(ジン):諸説有るが、一説に八尺という。すると百仞は160mになる。孔子の住まう華北平原は、泰山(標高1、545m)などを除けばどこまで行ってもだだっ広い平原だから、これでも高山の部類に入るのだろうか。

だだっ広くなったわけについては伝説があるが、長くなるので別ページ「愚公山を移す」で。

孔子家語・付記

『荀子』『説苑』などを元に、後世創作された物語。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)