『孔子家語』現代語訳:はじめに

『孔子家語』とは

孔子家語
孔子家語は、論語に漏れた孔子の言葉や行動を記したと称する、中国三国時代の書物。その前の時代の後漢時代は、ある意味儒教の最初の最盛期と言って良く、前漢時代の儒教はいわゆる国教化されたとは言うものの、法家や道家の影響力は政権内に根強かった。

しかし後漢王朝を起こした劉秀・光武帝は、建国当初から儒教を国家思想の根本に据え、その教えにどれだけ沿ったかで人材を選び、官僚として採用した。いわゆる郷挙里選であり、親孝行や忠義者、儒者として地方の評判が高い者を、中央の官僚に据えた。

しかしこれは、とんでもない悪影響を社会と儒教にもたらした。中国では「三年清官、三代白銀」と言って、ワイロらしいワイロを取らなくても、役得や付け届けだけで、三代食えるほどの財産が手に入る。そこで郷挙里選に選ばれるために、全国こぞって偽善が大流行した。

例えば親孝行の評判だけで、三代の財産である。そこで孝行マニュアルというのが出来、親に食いつく蚊を防ぐために、裸になって寝るとか、親を養うために自分の子を生き埋めにしたとか、真冬の凍った川に寝て親に食わせる魚を寄せたとか、そう言う話が出来た。

はるか後世に、それらをまとめた『二十四孝』という本が出たが、これは孝行を薦めたと言うより、就職目当ての偽善である。古今変わらぬ中国人の実利主義が、道徳と合わさるとこのようなゑすMが出来上がる。子を埋めるような偽善男が、果たして役人に向くだろうか?

偽善がまかり通れば現実を把握できず、統計や報告はでたらめになり、本当に民衆を救う行政より、お高くとまった絵空事の行為が評価される。学者としての儒者もまたこの風潮に染まり、論語を始めとして儒教の経典類がSゑむ的に解釈されだしたのも、この時代に始まる。

そんな中で儒学界のボスとして君臨したのが、後漢の鄭玄で、確かに博覧強記でよくものを知っている学者ではある。しかしそれが面白く無い人物がいるのも当然で、その一人がこの孔子家語を創作した、三国時代の王粛(195-256)という男だった。
論語 鄭玄 論語 孔子家語 王粛

『孔子家語』は物語版『論語』

王粛が孔子家語を創作した理由は、鄭玄の学説に反駁するための根拠とするためだったとされる。だから自分の創作と言っても信用されないから、前漢武帝時代(BC141-BC87)に生きた孔子の子孫・孔安国が書き、それに孔安国の孫の孔エンが注を付けたもの、として触れ回った。
論語 古注 孔安国

ここで王粛のインチキを糾弾しても始まらない。中国人はインテリだろうと古代から現代に至るまで、実利はことのほか重視するが、事実はどうでもいい生き物だからだ。では王粛はこの孔子家語の創作で実利を得たのだろうか。政治家としてはそれなりに成功したようだ。

論語 古注 何晏
王粛は長らく魏の皇帝の顧問を務め、論語の注釈をまとめた何晏カアン一派とは政敵の関係だった。やがて司馬氏のクーデターで何晏派は一掃されるが、王粛は司馬氏の与党として活動した。そのおかげで出世を果たし、没後、魏が司馬氏の晋に取って代わっても尊崇された。

しかし学者としての王粛の、当時の評価は儒者史にまるで興味のない訳者にはわかりかねるし調べる気もない。ただ訳してみて思うのは、偽作するにしても随分いい加減で、学界の大ボスに食ってかかるにしては芸がない。学者としての才能は、大して無かったのではなかろうか。

『孔子家語』のほとんどは、戦国末の『荀子』、前漢の儒者・韓嬰(BC200頃-BC130頃)の『韓詩外伝』、劉キョウ(BC77-BC6)の『説苑ゼイエン』のコピペであり、いくら三国時代が混乱期と言っても、『孔子家語』を読んだ者は、すぐさまコピペと気付いたことだろう。

しかし中国史を貫く鉄則として、権力はカラスさえ白く出来る。司馬氏奪権に理論的根拠を与えたほどの高官に、「コピペではないか」と言えば命が危ない。当時の儒者はコピペと重々承知で、『孔子家語』を本物でございますと、口を揃えて褒めそやしたに違いない。

だがこういう史実がある。昔の中国人が、やがてこの本を本当に孔子の言葉や行動を記録したものと信じ、それを日本人もまた受け入れ、孔子家語から派生して物語がさらにつむがれたという事だ。正史『三国志』を読む人は少なくとも、『三国志演義』はウケたのと似ている。

また『孔子家語』は、贋作として出来が悪いだけであり、上記のように筋目のよい儒学書から孔子の言葉を抜き書きした、それなりに筋の通った孔子語録と言っていい。捏造と贋作のまかり通る中国古典の中で、王粛の小細工はむしろ、可愛い部類に入ると言っていい。

ならば孔子家語も、『論語物語』『孔子物語』として受け入れるには不都合はないだろう。加えてどうやら、日本語での完訳はまだ無いようだし*、あったとしてもかさばるし、後漢時代の漢文は素直だから自分で読んだ方が早いし、ということで、ここで全文の完訳を企てた。

原文は論語と同様、中國哲學書電子化計劃のサイトから取る。版本データも色々あるようだが、句読を一から付けるのは面倒くさいので、https://ctext.org/kongzi-jiayu/zhのデータを採用した。

なお和刻本として、太宰春台注『標箋孔子家語』寛政元年 江戸 嵩山房刊を参照した。現代の本としては、藤原正校訳・岩波文庫『孔子家語』を参照した。中國哲學書電子化計劃のテキストは必ずしもよいとは言えないのを、この本によって補えたのは大きい。


*のちに好生篇あたりから、大部で宇野精一著ということになっている明治書院・新釈漢文大系『孔子家語』を知って参照した。しかしこの手の訳本によくありがちなことだが、読みや訳にでたらめや手抜きがちらほらある。それにしても、ここまで出来の悪い訳本も珍しい。

漢文業界の掟として、この手の訳本は出版社が学界の大先生に依頼し、大先生は子分どもを集めて分担させ、子分どもは院生にゼミと称して実作業をさせる。大先生と子分は何もしない。院生には一切報酬がなく、名前さえ世間に知られない。土建業界の孫請けよりもなおむごい。

タダ働きを強要された院生の怨念がこもった呪いの書である。くわばらくわばら、と言う所以は、うっかり信用するとオトツイの方角に導かれてしまうからで、この本を根拠に訳や偉そうな事を言うと、フランス人にだまされた某ビール会社の本社屋並みに恥ずかしい思いをする。

(下記のヤマネコ発見の際、某国の王族が「島民は出て行け」と言ったように、欧米人の陰険さは、どうかするとこのような形で表に出る。が、それは卑屈な日本人にも罪がある。)

これ以外の訳本と称する書は抄訳ばかりで、結局『孔子家語』の全文を読むのに頼りになるのは、藤原正校訳の古い岩波文庫版だけとなる。ただし書き下し文と僅かな訳注があるのみで、漢文読みがイリオモテヤマネコ並に珍しいこんにち、訳本として通用するかは難しい所。

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コメント

  1. […] 宇野の息子はおやじの七光りで東大教授になったが、こちらは掛け値無しの知的低脳(戦前の東大文学部は無試験)に加えて人間性も劣悪で、学生院生をタダでこき使って漢籍の翻訳をやらせ、それを奪い取って出版社に売りつけた。それが明治書院の漢文大系『孔子家語』である。 […]