『孔子家語』現代語訳:弟子行第十二(8)

孔子家語・原文

子貢曰:「敢問夫子之所知者,蓋盡於此而已乎?」孔子曰:「何謂其然?亦略舉耳目之所及而已。昔晉平公問祁奚曰:『羊舌大夫、晉之良大夫也。其行如何?』祁奚辭以不知。公曰:『吾聞子少長乎其所,今子掩之,何也?』祁奚對曰:『其少也恭而順,心有恥而不使其過宿;其為大夫,悉善而謙其端;其為輿尉也,信而好直其功。至於其為和容*也,溫良而好禮,博聞而時出其志。』公曰:『曩者問子,子奚曰不知也?』祁奚曰:『每位改變,未知所止,是以不敢得知也。此又羊舌大夫之行也。』」子貢跪曰:「請退而記之。」

*『大載礼記』に従って容を和容に改めた。

孔子家語・書き下し

子貢曰く、「敢えて問う、夫子之知る所の者、蓋し此於盡く而已乎」と。孔子曰く、「何ぞ其れ然りと謂わん。亦た略ぼ耳目之舉ぐる所の及ぶ而已。昔晉の平公祁奚に問いて曰く、『羊舌大夫は、晉之良き大夫也。其の行いや如何』と。祁奚こたうるに知ら不を以う。公曰く、『吾れ聞くならく、子は少きより其の所長けたりと。今子之を掩うは、何ぞ也』と。祁奚對えて曰く、『其れ少き也、恭にし而順い、心は恥を有ち而其の過ちを使て宿せしめ不。其れ大夫と為るや、善きをくし而其の端しきを謙る。其れ輿尉と為る也、信にし而其の功を直すを好めり。其れ和容と為る於至る也、溫良にし而禮を好み、博く聞き而時に其のおもいを出す』と。公曰く、『さき子に問うに、子奚ぞ知ら不と曰う也』と。祁奚曰く、『位每に改め變わり、未だ止る所を知らず、是れ以て敢えては知るを得不る也。此れ又た羊舌大夫之行い也』と」と。子貢跪いて曰く、「請うらくは、退き而之を記さん」と。

孔子家語・現代語訳

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子貢「失礼ながら問います。先生にその人となりが想像できるのは、以上の人々だけだとお考えですか?」
孔子「これでおしまい、とは言わぬよ。お前と同じく、見たまま聞いたままを言ったまでだ。(だが人となりとは、簡単に言い尽くせるものではない。その例を語ってやろう。)

昔、晋の平公が、家臣団の長老であるケイに問うたそうだ。”羊舌大夫どのは、晋のよき家老だったそうじゃ。その行いはどうであったか。”
問われた祁奚は”知りませぬ”と答えた。

平公”長老どのは若い頃より、家臣たちの人となりについて詳しかった、とわしは聞いておるぞ。なぜ知らぬ振りをするのじゃ。”

祁奚”若い頃は、腰を低くして年長者に従い、恥ずかしい事をしないよう心掛けて、間違いはその日のうちに改めるものでございます。家老職に就きましたら、最善を尽くすよう仕事に励みますが、自分だけが正しいのだ、と思い上がらぬよう気を付けるものでございます。

武官の職に就きましたら、嘘をつかず、自分の武功を大げさにしないことを好むものでございます。外交の職に就きましたら、表情や立ち居振る舞いを和やかにし、礼儀作法を好んで学び、人の話をよく聞き取り、自分からはめったに口を利かぬものでございます。”

平公”ようしゃべるのう、長老どのは。さっきはなぜ知らぬ振りをしたのじゃ。”
祁奚”立場によって、人は変わるものでございます。これで人格が固まった、などとは、誰にも分からぬのです。しかもこれこそ、羊舌大夫どのがお気を付けになったところでございます。”」

子貢が跪いて言った。「(よいお話でした。)では私は失礼して、今の話を書き留めたいと思います。」

孔子家語・訳注

敢問:”思い切って問います”。目上が一度答えたことに、更に重ねて問う=”あなたの説明は十分ではないよ”、という失礼を省みず問う、というへりくだりの意であろう。

而已:二文字で「のみ」と読む限定。

亦:”お前と同じように”。出来の悪い漢文本だと、ナントカの一つ覚えのように「また」と読み下し、解釈を読者に抛り投げている。要するに訳本の書き手が怠惰で不真面目なのだ。この字に出会ったら、”~もまた”なのか、”大いに~”なのかを判別しなくてはならない。

晉平公:位BC558-BC532。羊舌キツ、趙武などの賢臣の補佐を得て、大過なく春秋時代の国君として晋を治めた。在位時期は孔子の青少年時代に当たる。

ケイ:BC620-BC545。晋公室の一員で、平公の時代の老臣。人材を推薦するのに、身内だろうと遠慮せず、政敵だろうと気にしなかったと言われる。

羊舌大夫:=羊舌突。晋公室の一員で、前回登場の銅鞮伯華の父。

端:整っていること。正しいこと。正義。

論語 端 字解
『字通』によると、髪の長い女性の姿が原義だという。

論語 孔子 熱
異端=他人の正義にケチを付けるな。(論語為政篇16

輿尉:春秋時代、晋国の武官の一つ。「輿」は戦車をいい、「尉」は武官の一つ。『大漢和辞典』には、「衆を発し民を使うことを掌る」とある。晋国は公室の分家である門閥家老家の力が強く、各家の成人男性は、行政官と共に武官を兼任した。

至於其為(和)容也:結論から言うと、「容」を「和容」と改めて”外交官”と解した。

藤原本は「容」のまま読んでいる。『大漢和辞典』の語釈では、”おだやかな態度”のみを記し、本章を引用している。宇野本には容について「和容」だとし、「賓客の接待役。底本は容に作る。『疏證』によって改めた」とある。

陳氏孔子家語疏證 和容
でたらめの多い宇野本ゆえ鵜呑みせず、湖北叢書版『陳氏孔子家語疏證』を参照すれば、確かに「和容」になっている。

『漢語網』には「和容」の語釈について、その一つに「《大戴禮記·衛將軍文子》:“至於其( 羊舌大夫 )為和容也,溫良而好禮,博聞而時出其志。” 盧辯 注:“和容,主賓客也。” 王聘珍 解詁:“主賓客,謂應對諸侯及受命而使也。”」とある。

中国哲学書電子化計画の先秦両漢で「和容」を検索すると、本章の元ネタである『大載礼記』の他は、”穏やかな表情”以外でしか使われていない。

結局、『大載礼記』に従って「和容」に改めるのには理があるが、「和容」を外交官だと解する根拠は、儒者の思いつきと、大夫-輿尉と並ぶ官職だろうという、文脈しか無い。しかし今はこれに従った。

孔子家語・付記

今回を含めた本篇全体が、『大載礼記』衛将軍文子篇のコピペ。

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