『孔子家語』現代語訳:弟子行第十二(6)

孔子家語・原文

文子曰:「吾聞之也,國有道,則賢人興焉,中人用焉,乃百姓歸之。若吾子之論,既富茂矣,壹諸侯之相也,抑世未有明君,所以不遇也。」

子貢既與衛將軍文子言,適魯,見孔子曰:「衛將軍文子問二三子之於賜,不壹而三焉;賜也辭不獲命,以所見者對矣。未知中否,請以告。」孔子曰:「言之乎。」子貢以其辭狀告孔子。子聞而笑曰:「賜!汝偉為知人*。」子貢對曰:「賜也何敢知人,此以賜之所覩也。」孔子曰:「然。吾亦語汝耳之所未聞,目之所未見者,豈思之所不至,知之所未及哉!」子貢曰:「賜願得聞之。」

*藤原本:汝偉為知人もと汝次為人矣に作る。王注に曰く、人の次を知ると為すを言うと。大載礼記衛将軍文子篇に依って改む。

孔子家語・書き下し

文子曰く、「吾これ聞く也、國に道有らば、則ち賢人興ら、中人はたらか焉、乃ち百姓之に歸さん。吾子之論の若きは、既に富み茂り矣、壹えに諸侯之相け也。抑も世は未だ明君有らず、以て遇せ不る所也。」

子貢既に衛將軍文子與言いて魯に適き、孔子に見えて曰く、「衛將軍文子、二三子之賜問えるや、壹たりなら不し而三たりたり。賜也辭するもいいつけを獲不、以て見る所の者もて對えるも、未だ中るや否やを知らず。請うらくは以て告げん」と。孔子曰く、「之を言えかし」と。子貢其の辭のついでを以て孔子に告ぐ。子聞き而笑いて曰く、「賜や、汝はおおいに人を知りり」と。子貢對えて曰く、「賜也何ぞ敢えて人を知らん、此れ賜之覩る所を以いたる也」と。孔子曰く、「然り。吾れ亦た汝に語げん。耳之未だ聞かざる所、目之未だ見ざる所、豈に思い之至ら不る所、知之未だ及ばざる所ならん哉」と。子貢曰く、「賜願わくば得て之を聞かん」と。

孔子家語・現代語訳

文子将軍が言った。「私はこういう話を聞いています。国政に原則があるなら、賢者が現れて、ほどほどの才の者もよく働き、民衆はその政治を支持すると。子貢どのがお話し下さったお弟子たちは、すでに才能に溢れ、活躍してもおかしくない。実に殿様方のよき補佐役です。

しかし今の世の中には、ものが見える殿様がいません。だから活躍の場を与えられないのでしょう。」

子貢は衛の将軍・文子との対話を終えると、魯に戻って孔子に会って言った。

論語 子貢 自慢 論語 孔子 微笑み
「衛の将軍文子どのは、弟子諸君について私に問いました。それも一度では無く三度も繰り返して。断っても将軍のお気持ちにかないませんし、私が見た範囲で答えたのですが、話した内容が当たっているかどうか、自信がありません。今から申し上げますから、ダメ出しして頂けますか?」

孔子「それなら言いなさい。ほほほ。」
子貢は話した順序通りに孔子に伝えた。先生は笑いながら言った。「子貢や、実によく人を見抜いていると言ってよいぞ。」

子貢「とんでもない。見たままに言ってみただけです。当たっているとは思えません。」
孔子「それは、そうじゃな。だがこういう話もあるぞ。まだ聞いていない、見ていない。だが想像は出来る、推測は出来る、とな。(会ったことの無い人物でも、その人となりはわかるというものじゃ。)」

子貢「ぜひぜひ、先生のご想像をお聞かせ下さい。」

孔子家語・訳注

吾聞之也:”まさに私が聞いたところでは”。ここでの「之」は直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持たない。

則賢人興焉:”間違いなく賢者が立ち現れるでしょう”。「焉」は完了を意味する記号で、未来完了の場合は「む」と読み下すか、「なむ」「てむ」と強意に読み下すしか無い。

所以不遇也:”だから不遇なのだ”。「遇」は迎えることで、待遇を与えること。不遇=高給を与えられないと解してもいいが、弟子たちの親分である孔子は、年俸111億円を与えられても、政治の実権を握れなければ文句を言った(論語憲問篇20「子、衛霊公の無道をいう」)。

だから高給めあてと言うより、活躍の場が欲しいのだ、と解した。

二三子之於賜:宇野本では、「二三子之於賜」と一字補っている。こちらの方が正しいのではないかと思うが、今は原文のまま読んで訳した。

二三子:”弟子の諸君”。子貢は弟子の中でも年長格で、しかも孔門十哲に入る高弟だったから、他の弟子を”諸君”と目下に呼んでいい立場にある。

なお子貢は弟子きっての商才を持ち、おそらく孔子塾の財政を預かったばかりか、子貢の援助無くして、一門は成り立たなかったと思われる。ある意味孔子ですら遠慮せねばならない弟子だったのだ。しかし記録によると、子貢はおごることなく、人一倍孔子を敬愛していた。

言之乎:”言ってみなさい、ほほほ。”「乎」は”はあ”という息を意味し、詠嘆なり反語の意になるが、ここでは愛弟子子貢に対し、親しみをこめた口調と解した。

辭狀(辞状):ことばの次第。話の順序。「辞状隠伏」とは、上奏文など公文書の文字をわざと抜け落としたり書き換えたりして、文意が分からなくすることを言う。つまり無慮二千年以上にわたって儒者=中国の役人が得意とした、常套手段だった。

汝偉為知人:宇野本では「汝次為知人矣」とあり、「なんじ人を知ると為すに次ぐ」と読んでいる。こちらの方が正しいのではないかと思うが、今は藤原本に従った。

孔子家語・付記

今回を含めた本篇全体が、『大載礼記』衛将軍文子篇のコピペ。

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