『孔子家語』現代語訳:弟子行第十二(5)

孔子家語・原文

先成其慮,及事而用之,故動則不妄,是言偃之行也。孔子曰:『欲能則學,欲知則問,欲善則詳,欲給則豫,當是而行,偃也得之矣。』

獨居思仁,公言言義,其於《詩》也,則一日三復白圭之玷,是宮縚之行也。孔子信其能仁,以為異士。

自見孔子,出入於戶,未嘗越履,往來過之,足不履影,啟蟄不殺,方長不折,執親之喪,未嘗見齒,是高柴之行也。孔子曰:『柴於親喪,則難能也,啟蟄不殺,則順人道;方長不折,則恕仁也。成湯恭而以恕,是以日躋。』

凡此諸子,賜之所親覩者也。吾子有命而訊賜,賜也固,不足以知賢。」

孔子家語・書き下し

先づ其の慮りを成し、事に及び而之を用う、故に動かば則ち妄らなら不る、是れ言偃之行い也。孔子曰く、『能わんと欲さば則ち學び、知らんと欲さば則ち問い、善くせんと欲さば則ち詳らかにし、さんと欲さば則ち豫めす、是しきに當り而行うは、偃也之を得たる矣』と。

獨り居て仁を思い、言を公けにして言義しく、其の詩に於ける也、則ち一日に三たび白圭之玷を復えす、是れ宮縚之行い也。孔子其の能く仁たるを信じ、以てなみならぬ士と為す。

孔子に見えし自り、戶於出入りして、未だ嘗て履を越えず、往き來して之れ過ぎるに、足は影を履ま不、啟蟄に殺さ不、うるにあたりて折ら不、うから之喪を執りて、未嘗て齒を見せざるは、是れ高柴之行い也。孔子曰く、『柴の親の喪に於けるは、則ち能い難き也。啟蟄に殺さ不るは、則ち人を順える道なり。長うるに方たりて折ら不るは、則ち恕の仁也。成湯はゐやにし而以て恕たり、是れ日を以てのぼりたり』と。

凡そ此の諸子は、賜之親しく覩る所の者也。吾子のいいつけ有り而賜に訊ぬるも、賜也かたくなにして、賢を知るを以いるに足ら不」と。

孔子家語・現代語訳

(子貢は続けた。)

論語 子游
事前によく計画を練って、その時が来たらその通りに行う、だから行動に出てもでたらめにならない。これがエンユウの行いです。

孔子先生は言いました。「したいことがあれば方法を学び、知りたいことがあれば質問し、上手になりたいと思えばよく調べ、いざという時のため事前に仕組みを作っておく。目的にかなった正しい方法を行うべきことを、子游はよく心得ている」と。

論語 南容
誰も見ていなくても、仁の情けを実践しようと気を配り、口に出した言葉は正義にかない、詩の勉強については、一日に三度玉磨きのうたを繰り返し歌う。これが宮トウの行いです。孔子先生は、宮縚が仁の情けを実践できると認め、人並みならぬ人物だと評価しました。

論語 高柴子羔
孔子先生にお目見えしてからこの方、塾の靴脱ぎを出入りしても、誰かの履き物をまたぐような無礼をしない。往来で誰かとすれ違う時にも、影を踏んづけるような失礼をしない。冬眠から目覚めた虫を可愛がり、殺さないよう気を付ける。伸びゆく枝を傷付けない。

親しい者が亡くなると、心から悲しんで笑顔を見せない。これが高サイの行いです。

孔子先生は言いました。「高柴が親しい者の喪に服す態度は、誰にでも出来ることではない。目覚めた虫をいたわるのは、それこそ人々を温和にしてゆく道だ。枝を傷付けないのはとりもなおさず、我が身のように相手をいたわる、仁の情けにかなった行為だ。

いにしえの聖王だった殷の湯王も、へりくだることで相手を思いやった。そして日々その修行に励んだのだ。」

--以上全てのお弟子達は、私(子貢)がこの目で見た人々です。将軍閣下はご希望によりお尋ねになりましたが、私は頭が固くて、誰が賢者かを知るには至っていません。

孔子家語・訳注

欲給則豫:『学研漢和大字典』による「給」の語義の一つに、「用に充てる。また、必要に応じる。用例:給仕・給事」とある。これに従い、”(未来の)必要に当てるため、あらかじめ手を打つ”と解した。

下記するように、子游はそのうち様子を見に来るであろう孔子に備えて、あらかじめ治めたまちの町人に芸を仕込んでおくなど、”あらかじめ手を打つ”人物だった。

白圭之テン:『詩経』大雅・抑に出てくる玉磨きのうた。話の元ネタは論語先進篇5

白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可為也。
白きたまけたるは、尚お磨くべきなり。この言の玷けたるは、為すべからざるなり。
♪キュッ、キュッ、キュッ、磨いてキュッ。
♪傷を取りましょ、玉の傷。
♪言っ、ちゃっ、た、やらかした。
♪言葉は怖いな、消せないな。

トウ:宇野本では南宮縚になっている。誰だか古来分からない。論語憲問篇6に見える南宮括ナンキュウカツを南容、すなわち宮縚だとする説が古来あるが、訳者は支持しない。南宮括は魯国門閥家老の一家、孟孫氏の当主の弟で、孔子の洛邑留学に奨学金が出るよう骨を折った人物。

詳しくは孔子家語観周1を参照して頂きたいが、援助者を弟子扱いはいかんだろう。

啟蟄:=啓蟄。「啓」は開くこと、「蟄」は冬ごもり。冬に土籠もりしていた虫が陽気に当てられて地上に出て来ることで、雨水と春分の間。陽暦の三月五日ごろ。ようやく冬眠から覚めた虫たちを憐れんで、殺生しないよう気を付けた、ということ。

執親之喪:素直に訳せば、”親の喪中で”の意だが、ここでは「親」=親しい者、と解した。虫も殺さぬのなら、知人の喪中でも歯を見せぬ、と解した方がすごみがあるからだ。また親の喪中に哀しみ続けるのは難しくなかろうが、知人の喪中でそう出来るのは、本章で孔子が言うように、”誰にでも出来ることではない”。

なお『学研漢和大字典』と『大漢和辞典』では「親」は”親しい(者)”を原義とするが、『字通』によると真新しい位牌で、”おや”を原義とする。

則順人道:宇野本では「則順道」とあり、「則ち天道に順えるなり」と読んでいる。底本は劉氏覆刻の影宋蜀本だという。

孔子家語・付記

今回を含めた本篇全体が、『大載礼記』衛将軍文子篇のコピペ。

論語 子游
子游は孔子の高弟の中では小ずるい所があり、師におもねるためには領民を総動員したヤラセも辞さなかった(論語陽貨篇4)。孔子没後は、冠婚葬祭業の元締めとして活躍したらしい。

宮縚はたぶん南容を指しているのだろうが、南容は孔子の兄の娘をめとっている。玉磨きの歌に感心した孔子が、自分から言い出して世話したそうだ(論語公冶長篇1)。孔子の兄は足が不自由だったと伝わるが、貴族でも何でもない、孔子と同じくむしろ底辺の出身。

南容を南宮括=孟孫氏当主の弟君だとは思えないのはそれが理由で、門閥家老家の若様が、いくら孔子の姪とはいえ、下層民から嫁取りするとは考えがたい。

論語 高柴
高柴は曽子と並んで、孔子が正面から「バカだ」とこき下ろした人物(論語先進篇17)。ずいぶんとご立派に潤色したものだと感心するが、身に危険が及ぶ中、渦中に飛び込む兄弟子の子路を、必死に引き止めようとした逸話がある。本章の通り、人はよかったのだろう。

子路が公宮に入ろうとすると、門から出てきた弟弟子の子コウ=高柴に出会った。

高柴「兄者、門はすでに閉じています。」
子路「かまうものか。ぶち破ってくれる。」
高柴「無理です。わざわざ危ない目に遭うことはありません。」

高柴は引き止められずその場を離れ、入れ替わりに子路が門前に立った。門前の公孫敢が門を閉ざして「入るな」と言うと、子路は「公孫どの、貴殿は利益に目が眩んで逃げたな。拙者はそうではない、俸禄分はご主君を危険からお助け致す」と言った。

そこにたまたま外に出る使者があったので、どさくさに紛れて子路は門を入った。高々とそびえる宮殿には、反乱を起こした太子蒯聵カイカイと、その手引きをした孔カイが立てこもっている。子路は大音声で呼ばわった。

「太子どの、孔悝どのは役立たずですぞ。殺しても代わりはいくらでもござる。それに太子どのが昔から怖がりなこと、拙者はよくよく存じてござる。おとなしく孔悝どのを放しなされ。さもないと下からこの宮殿に火を付けますぞ。」

太子は震え上がって、石乞・孟黶ウエンの二人を下に降ろして子路と戦わせた。戈で子路を撃ったところ、子路の冠の紐が切れた。子路は「君子は死んでも冠を脱がないものでござる」と言って、紐を結び直している内に殺された。(『史記』衛世家

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