『孔子家語』現代語訳:致思第八(3)

孔子家語・原文

孔子曰:「季孫之賜我粟千鍾,而交益親;自南宮敬叔之乘我車也,而道加行。故道雖貴,必有時而後重,有勢而後行。微夫二子之貺財,則丘之道殆將廢矣。」

孔子曰:「王者有似乎春秋。文王以王季為父,以太任為母,以太姒為妃,以武王、周公為子,以太顛、閎夭為臣,其本美矣;武王正其身以正其國,正其國以正天下,伐無道,刑有罪,一動而天下正,其事成矣;春秋致其時,而萬物皆及,王者致其道,而萬民皆治;周公載己行化,而天下順之,其誠至矣。」

曾子曰:「入其國也,言信於群臣,而留可也;行忠於卿大夫,則仕可也;澤施於百姓,則富可也。」孔子曰:「參之言此,可謂善安身矣。」

論語 孔子家語 孔子聖蹟図 過蒲賛政
子路為蒲宰,為水備,與民脩溝洫;以民之勞煩苦也,人與之一簞食、一壺漿。孔子聞之,使子貢止之。子路忿然不說,往見孔子曰:「由也以暴雨將至,恐有水災,故與民脩溝洫以備之;而民多匱餓者,是以簞食壺漿而與之。夫子使賜止之,是夫子止由之行仁也。夫子以仁教,而禁其行,由不受也。」孔子曰:「汝以民為餓也?何不白於君,發倉廩以賑之,而私以爾食饋之,是汝明君之無惠,而見己之德美。汝速已則可,不則汝之見罪必矣。」

孔子家語・書き下し

1

孔子曰く、「季孫之我に粟千鍾を賜い、而て交り益〻親し。南宮敬叔之我を車に乗せて自り也、而て道行くを加う。故に道貴しと雖も、必ず時有り而後重く、勢有り而後行わる。夫の二子之財を貺(たま)う微(なか)りさば、則ち丘之道殆ど将に廃れる矣(なり)。」

孔子曰く、「王者は似る有らん乎春秋に。文王王季を以て父と為し、太任を以て母と為し、太姒を以て妃と為し、武王、周公を以て子と為し、太顛、閎夭を以て臣と為す、其れ本と美なる矣(かな)。武王其の身を正すに其の国を正すを以てし、其の国を正すに天下を正すを以てし、道無きものを伐ち、罪有るものを刑し、一たび動かば而て天下正しく、其の事成れる矣。春秋其の時を致して、而て万物皆な及び、王者其の道を致して、而て万民皆な治まる。周公己を載(おこな)いて化(おしえ)を行い、而て天下之に順う、其れ誠の至る矣。」

曽子曰く、「其の国に入る也、言は群臣に信、而て留る可き也。行いは卿大夫に忠ならば、則ち仕う可き也。沢(めぐみ)を百姓に施(およ)ぼして、則ち富む可き也」と。孔子曰く、「参之言や此れ、善く身を安んじると謂う可き矣」と。

子路蒲の宰為りて、水の備えを為すに、民与(と)溝洫(コウケツ)を脩む。以て民之煩い苦しむを労らう也、人に之を与えて一簞の食、一壷の漿(しる)となす。孔子之を聞きて。子貢を使て之を止む。子路忿然として説ばず、往きて孔子に見えて曰く、「由也暴雨将に至らんを以て、水災有るを恐れ、故に民与溝洫を脩め以て之に備う。而て民多く匱(とぼ)しく餓うる者なり、是を以て簞食壷漿を而て之に与う。夫子賜を使て之を止む、是れ夫子由之仁を行うを止める也。夫子仁を以て教え、而て其の行いを禁じるは、由受けざる也」と。孔子曰く、「汝民を以て餓えると為す也。何ぞ君於(に)白(もう)さざる。倉廩を発きて以て之を賑(みた)せ。而て私に尓の食を以て之に饋(おく)るは、是れ汝、君之恵み無きを明わし、而て己之徳美を見するなり。汝速に已まば則ち可し、則ち汝之罪を見るや必せ不る矣(なり)。」

孔子家語・現代語訳

孔子が言った。「季孫氏が私を粟千鍾で雇ってから、交友が広がった。南宮敬叔が私を車に乗せて洛邑へ留学させてくれてから、私の教説は広がり始めた。だから私の教説が立派であっても、時の勢いで重んぜられ、運に乗って広まった。あのお二人が私に財産を恵んでくれなかったら、私の教説は今はもう廃れ切ってしまっていただろう。」

孔子が言った。「王者の政治は春秋の季節の巡りに似ている。文王は王季が父、太任が母、太姒が妃、武王・周公が子、太顛、閎夭が家臣だった。みな立派だった。武王は国政を正すことで自己修養し、天下を正すことで国政を正した。従わない者を討伐し、悪党を処刑したが、ひとたび政令を下すと天下が正しくなり、天下も国も自分も整った。春秋の季節が巡って、万物に作用を及ぼし、王者は政治を行うことで、万民が平和に暮らした。周公は民を教育することで、自分も修養し、だから天下が順った。真心の極致だ。」

曽子が言った。「ある国に入って、国君の言葉が群臣に対して正直なら、滞在してよろしい。国君の行いが家老たちに対して真心があるなら、仕えてもよろしい。国君が恩恵を庶民に施しているなら、その国で富を得てもよろしい。」

孔子が言った。「曽子の言葉は、身の危険を避ける効き目があると言えるな。」

子路が衛国の蒲のまちの代官になった。治水工事を行って、民に混じってもっこを担ぎ、水路を整えた。工事の苦労を思いやって、民に竹茶碗一杯の飯と、ふくべ一杯の汁物を出した。孔子がそれを聞いて、子貢を使わして給食をやめさせた。子路が怒って孔子の下を訪れて言った。

「私は暴風雨が来て洪水になるのを心配して、民と共に工事にあたったのです。民には貧乏な者が多いので、わずかですが給食を行いました。ところが先生は子貢に止めさせた。私は仁を行おうとしているのですよ? 仁は先生の教えではありませんか。このお申し付けには従えません。」

孔子「ほう。民が飢えていると見たか。ならなんで国君に申し上げない。国庫を開いて配給すればいいだろう。お前の蓄えから給食を出したのは、国君がけちん坊だと宣伝するようなものだ。自分が仁者でござい、と見せ付けるつもりか? さっさと給食をやめればよし、それならお前の罪は知られずに済むだろう。」

孔子家語・訳注

王季:周の開祖、文王の父。

太任(タイジン):文王の母。

太顛(タイテン)、閎夭(コウヨウ):文王・武王の家臣。

蒲(ホ):衛国西部のまち。孔子は放浪の途中で通りかかり、襲撃されたことがある。

溝洫:溝(コウ)も洫(ケツ)も水路。

孔子家語・付記

1は『左伝』『史記』を元にした記事。創作とは断定できない。2はオリジナルかと思われるが、もったい付けと意味のなさで、漢代の儒者が言いそうな話だから、創作と思いたい。3はオリジナルと思われるが、創作かどうかは断定できない。4は『韓非子』を潤色したもの。

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コメント

  1. […] 孔子「ほう。民が飢えていると見たか。ならなんで国君に申し上げない。国庫を開いて配給すればいいだろう。お前の蓄えから給食を出したのは、国君がけちん坊だと宣伝するようなものだ。自分が仁者でござい、と見せ付けるつもりか? さっさと給食をやめればよし、それならお前の罪は知られずに済むだろう。」(『孔子家語』致思第八(3)) […]

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