孔子家語・原文
定公與齊侯會于夾谷。孔子攝相事,曰:「臣聞有文事者必有武備,有武事者必有文備。古者諸侯竝出疆,必具官以從,請具左右司馬。」定公從之。至會所,為壇,土階三等,以遇禮相見,揖讓而豋。獻酢既畢,齊使萊人以兵鼓謲,劫定公。孔子歷階而進,以公退。曰:「士,以兵之。吾兩君為好,裔夷之俘,敢以兵亂之,非齊君所以命諸侯也。裔不謀夏,夷不亂華,俘不干盟,兵不偪好,於神為不祥,於德為愆義,於人為失禮。君必不然。」齊侯心怍,麾而避之。有頃,齊奏宮中之樂,俳優侏儒戲於前。孔子趨進,歷階而上,不盡一等。曰:「匹夫熒侮諸侯者,罪應誅,請右司馬速加刑焉。」於是斬侏儒,手足異處。齊侯懼,有慚色。將盟,齊人加載書曰:「齊師出境,而不以兵車三百乘從我者,有如此盟。」孔子使玆無還對曰:「而不返我汶陽之田,吾以共命者,亦如之。」齊侯將設享禮,孔子謂梁丘據曰:「齊魯之故,吾子何不聞焉?事既成矣而又享之,是勤執事。且犧象不出門,嘉樂不野合。享而既具,是棄禮也;若其不具,是用粃粺也。用粃粺、辱君;棄禮、名惡。子盍圖之?夫享、所以昭德也。不昭,不如其已。」乃不果享。齊侯歸,責其群臣曰:「魯以君子道輔其君,而子獨以夷翟道教寡人,使得罪。」於是乃歸所侵魯之四邑及汶陽之田。
孔子家語・書き下し
定公、齊侯與(と)夾谷(キョウコク)于(に)會(あ)う。孔子、相(たすく)るの事(つとめ)を攝(と)りて曰く、「臣聞くならく、文事有る者は必ず武備有り、武事有る者は必ず文備有りと。古(いにしえ)者(は)諸侯、疆(さかい)を竝(なら)び出(い)でるに、必ず官を具(そな)えて以て從わしむ。請うらくは左右の司馬を具(そな)えん」と。定公、之に從う。會する所に至りて、壇(つちもり)を為(つく)るに、土の階(きざはし)は三等なり。以て遇(あ)うの禮をなし相いに見(まみ)え、揖讓(じぎ)而(し)て豋る。酢(さけ)の獻じるを既に畢れるに、齊は萊人(ライひと)を使(し)て以て兵鼓を謲(さわ)がしめ、定公を劫(おびやか)す。孔子階を歷(また)ぎ而(て)進み、公を以て退かしむ。曰く「士(さむらい)よ、以て之を兵(ころ)せ。吾が兩君好みを為すに、裔夷之俘(やから)、敢て兵を以て之を亂すは、齊君の以て諸侯に命ずる所に非る也。裔は夏を謀ら不、夷は華を亂さ不、俘は盟(ちかい)に干(あずから)不、兵は好みを偪(せま)ら不とあり。神に於ては為して祥(さいわい)なら不、德に於ては為して義を愆(ないがしろ)とし、人に於ては為して禮を失うは、君必ず然ら不らん。」齊侯心に怍(は)じ、麾(さしまね)きて而て之を避けしむ。頃有りて、齊宮中之樂を奏(かな)でる。俳優侏儒、戲れを前於(に)なす。孔子趨(はし)り進みて、階を歷(また)ぎ而上り、一等を盡さ不。曰く、「匹夫の諸侯を熒(まど)い侮(あなど)る者は、罪誅に應ず、請うらくは右司(ユウシ)馬速(すみやか)に刑を加え焉(な)ん」と。是に於て侏儒を斬り、手足處を異にす。齊侯懼(おそ)れ、慚(は)じる色有り。將に盟(ちか)いて、齊人載書に加えて曰く、「齊の師、境を出ずるに、而て兵車三百乘を以て我に從わ不る者は、此の盟の如き有らん」と。孔子玆無還を使て對(こた)えしめて曰く、「而て我に汶陽之田を返さ不るは、吾命を共にする者を以て、亦(ま)た之(かく)の如きならん」と。齊侯將に享禮を設くるに、孔子梁丘據に謂いて曰く、「齊魯之故、吾と子と何ぞ聞か不り焉(なん)。事既に成れる矣(なり)、而て又た之を享(う)く、是れ事執るものを勤(わずらわ)さん。且つ犧象は門を出で不、嘉樂は野に合せられ不。享けて而て既(ことごと)く具うるは、是れ禮を棄つる也。若し其れ具わら不らば、是れ粃と粺(ヒヒ)を用いる也。粃粺を用うるは、君の辱(はじ)なり。禮を棄つるは、名惡しきなり。子盍(なん)ぞ之を圖るや。夫れ享(うけ)は、以て德を昭らかにする所也。昭なら不らば、其れ已(や)むるに如(し)か不」と。乃ち享を果たさ不。齊侯歸りて、其の群臣を責めて曰く、「魯は君子道を以て其の君を輔(たす)く。而て子は獨り夷翟の道を以て寡人に教え、罪を得さ使めたり。」是に於て乃ち魯を侵す所之四邑及汶陽之田を歸す。
孔子家語・現代語訳
定公が斉の景公と夾谷で会談することになった。孔子はその事務長となり、定公に言った。「やつがれが聞く所では、文事には必ず武力を備え、武事にも必ず文化力を備えると言います。昔から諸侯が領地を出る時には、必ず官吏を連れて行きました。願い上げます、左右の将軍をお連れ下さい。」定公はこの言葉に従った。
会談の場所に着くと、斉は土盛りを三段にして会談場をこしらえていた。両公は互いに出会いの挨拶を交わして目通りし、お辞儀をして会談場に上がった。かための盃を交わしたところ、斉は領内の蛮族を繰り出し、いくさの太鼓を騒がしく叩いて定公を脅した。
孔子は緊急事態と見て、礼法通りに一段ずつ足を揃えないで跨ぎながら階段を上がり、定公を守って下がらせた。そして言った。
「衛兵、この者どもを殺せ。我がお二人の殿が友好の契りを結んでいるのに、わざわざ兵を繰り出して乱したのは、斉公の命令ではあるまい。蛮族は中華に悪だくみをせず、乱さず、誓いの儀式に関係せず、軍隊は友好の儀式を強要しないのが礼法の定めだ。このような振る舞いは神に対して不吉であり、人の道に対して正義を損ない、人に対して礼儀を失うものだ。斉公の命令ではあり得ようはずが無い。」斉の景公は恥ずかしく思って、手振りで蛮族を下がらせた。
しばらくして、斉が国公の私生活で奏でる音楽を奏でた。芸人や小人が出てきて、両公の前でお笑いを演じた。孔子は走り出て、階段を跨いで上って最後の一段を残し、言った。
「下らない者が諸侯を惑わせおとしめる罪は、死罪にあたいする。願い上げます、役人に命じてすぐさま処刑して下さい。」そこで小人を斬り、手足がバラバラになった。斉公は恐れて、恥じる気持が顔色に出た。
さて盟約書を書き込もうとして、斉の者がつけ加えた。いわく、「斉の軍隊が国境を出で出撃する際に、戦車三百両を率いて援軍に来ないなら、この盟約書に書いた通り天の罰を受けるだろう。」
孔子は係員の玆無還(ジムカン)に返答させた。いわく、「我が魯国に汶陽(フンヨウ)の地を返さない場合は、我が魯国もこの誓いを共にするからには、斉国も盟約書の通り天の罰を受けるだろう。」
こうして盟約の儀式が終わり、斉公が盟約固めの儀式を行おうとすると、孔子は斉の梁丘據(リョウキュウキョ)に言った。「斉と魯がこうして盟約を交わしたのを、たった今私とあなたは確かに聞いたではないか。盟約はすでに結ばれたのだ。それなのに改めて固めの儀式をするのは、事務方の面倒になるだけだ。そもそも誓いに用いる犧象の杯は門外に出さず、ことほぎの音楽は野外で演じないのが決まりだ。固めの儀式であたらめてそれらを用いるのは、礼法を捨て去るに等しい。仮に用いないなら、籾かすや雑草で儀式を行うに等しい。それでは国君の恥になる。礼法を捨て去るのは外聞も悪い。あなたはどうして固めを行おうとするのか。固めは国公の権威を明らかにするものだろう。意味のない固めなら、止めた方がいい。」そこで固めの儀式は止めになった。
斉公は帰国して、家臣を責めて言った。「魯は貴族にふさわしい方法で主君を補佐している。ところがあなた方は、私だけには蛮族の方法を教え、魯に責められるような真似をさせた。」そこで以前魯国から奪い取った四つのまちと、汶陽の地を返還した。
孔子家語・訳注
斉侯:斉の景公。斉の第26代国公。BC547即位。賢臣の晏嬰(アンエイ)に補佐されて、安定した政治を行った。BC490死去。
夾谷:斉と魯の国境、やや斉側にある谷。
攝相事(摂相事):魯国の宰相代理とする読みもあるが、同意できない。
司馬:国の軍事を司る二人の長官。
揖讓:両手を胸の前まで持ち上げるお辞儀。
酢:よく醸した酸っぱい酒。
萊人:山東半島に元々住んでいた蛮族。斉はこれをすでに征服していた。
謲(サン):怒鳴り合うこと。
歷階:礼法では、一段ごとに足を揃えて階段を上った。
裔夷之俘:裔・夷・俘は、共に蛮族。
夏・華:中華文明諸国のこと。
愆:間違える。無駄にする。
宮中之樂:宮廷音楽のうち、君主の私生活で演じる音楽。
俳優侏儒:俳優は宮中に置かれたお笑い芸人。侏儒はこびと。
匹夫:下らない人間。
熒侮(ケイブ):惑わしあなどる。
載書:国家間の盟約書。
師:軍隊。
享:応答の儀式・もてなしの宴会。
犧象:国家の重要儀礼に用いる酒器。「沙羽を描き、象骨で飾る」と大漢和にある。
嘉樂:めでたい音楽。
粃粺(ヒヒ):粃は実らない籾かす。粺は雑草。
寡人:君主の一人称。人徳が寡(すくな)い人という謙称。
孔子家語・付記
『史記』の記述と『左伝』を材料に後世作られた物語。